待つことになれし病廊黄水仙   山口 詩朗

待つことになれし病廊黄水仙   山口 詩朗 『この一句』  句会で最高点を得た句だが、合評会ではあれこれ疑問が投げかけられた。まずは「病廊」という造語の可否。まあ病院の廊下であることは分かるし、病棟、病室ともいうのだから病廊があってもいいじゃないかということになった。  次に、兼題が冬の「水仙」なのに、逆らうように春の「黄水仙」をもって来たのはどういうことだと。これも「病院ですしね、水仙では少し寂し過ぎる。春の黄水仙でちょっと明るい感じになるのがいい」ということで許された。  三つ目は「『待つことになれし病廊』とはどんな情景を言うのか」という疑問。二三の人は「入院生活が長くなり、待つことに慣らされてしまった。家族か知り合いか、誰か来てくれないかと廊下にまで出て待っている」状況と受け取った。しかしそれは深読みが過ぎる。  入院にせよ通院にせよ、検査だ診察だとあちこち回されて、その都度待たされる。点滴薬のぶら下がった洋服掛けのようなのに掴まって、壁際の黄水仙をじっと見つめている。「病院は待つことと見つけたり」と大悟した作者の心境を汲むだけで十分である。(水)

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