あけがたに腓の返る二月かな         三好 六甫

あけがたに腓の返る二月かな         三好 六甫 水牛 「腓(こむら)の返る二月」ですか。うまいもんですね。 正裕 私も最近、腓がえりをよく起こします。何日も続きましてね。ああ、そうだ、これだな、と。 恵子 この句、よく分かります。明け方、足が寒いせいでしょうか。日常生活から生まれた句ですね。 春陽子 何度も体験しておりますので、選ばざるを得ない。私の場合は、夢の中で走っているとき、つるんですよ。目覚めて「ああ夢か」と思うんですが、腓返りだけは現実なんです(笑い)。年のせいですかね。 六甫(作者) 私も眠っている時ですが、限界まで耐えますね。これは厳しいですよ。次に来たらだめだな、もうだめだな、という段階まで我慢しますからね。厳しい。 てる夫 要するに血流不足でしょう。レッグウオーマーをつけると防げるそうですよ。 水牛 私もよく起こします。それで診療所の先生に「腓返りがどんどん上がってきて心臓まで来たらどうなるか」って聞いたんです。そしたら「珍しいことを考える人ですなぁ」と笑われてしまった。 *         *  奇抜な題材が談論風発を引き起こした。これもまた句会の好もしい姿、と言えよう。(恂)

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桑畑赤城おろしの二月かな        高井 百子

桑畑赤城おろしの二月かな        高井 百子 『この一句』  赤城山の麓で農業を営む人の話を聞いた。戦前、国策によって満州の開拓に携わり、ほうほうの態で引き上げてきて、宛がわれたのが現在の地であった。噴石のごろごろした地を開拓していく親子の奮闘は聞くも涙の物語。現在の安定した生活ぶりを知って、ようやくほっとしたものである。  句会でこの句に出会った時、聞いたばかりの話がまざまざと甦ってきた。桑畑には葉のない枝が伸びているばかり。赤城おろしがびょうびょうと吹きわたっている。頭の中に描かれていた情景が、この句によってさらに鮮やかになり、身も凍るような二月の畑中に立っている気持ちになった。  「慌てて作った句なのに」と作者は語っていた。句会当日になって、あと一句がまだできない。もういいや、と故郷の風景を思い出すままに詠んだそうである。練りに練り上げた句がいいとは限らない。むしろすらっと、素直に出てきた言葉が人の心を強く打つものだ。しかし、とも思う。意識して素直に詠んでみても、なかなかいい句が作れない。「素直に」なんて思うことが、邪念なのかも知れない。(恂)

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爪を切る響きも硬き二月なり         須藤 光迷

爪を切る響きも硬き二月なり         須藤 光迷 『季のことば』  一月から十二月までの各月はみな季語になっている。その中で、特にイメージが湧きにくいのが二月ではないだろうか。とりとめがなく、捉えどころがなく、雪が降ったと思ったら、春一番が吹き、その後は寒かったり、暖かくなったりする。大学の入学がやがて九月になり、小中高もそれに倣うかも知れず、そうなったら二月から入試がなくなって、取って置きの特徴が一つ消えてしまう。  そういう状況の中で、この句は確かな二月の特徴を捉えた。このところずっと乾燥気味だった。東京の湿度は30%、時には20%という日もあり、爪にも潤いがなくなっているに違いない。「響きも硬き」と詠まれてみると、パチン、パチンという硬質の音が聞こえてくるようだ。  この句から私は、美しい女性が手の爪を形よく切っている、という情景を思い描いた。ところが「さびしそうですね、しょんぼり切っている」という、女性の感想が出て、びっくりした。そう言われたら、あぐらをかいて背を丸め、足の爪を切る男性の姿が急に浮かんできた。男女とも、二月の風景である。(恂)

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灯ともせば一輪咲きぬ冬の梅         笹本 塘外

灯ともせば一輪咲きぬ冬の梅         笹本 塘外 『季のことば』  「冬の梅」は春を待たずに咲いた普通の種類の梅のこと。今年は寒く、東京あたりでは梅の開花が遅れているようだが、年によっては一月末から二月の二三日まで、つまり立春前にぽつりぽつりと咲き出すのもある。枝に丸い蕾が膨らみ、ふと気づくとたった一つ、花びらを広げていたりするのだ。  夕方、暗くなったので廊下の灯をつけたのだろう。窓ガラスの向こうに何か白いものが見える。おっ、梅かな、と目を凝らすと確かに一輪咲いている。そうか、節分は明日だから、これは冬の梅なのだな、と作者はうなずく。満開の梅もいいが、このときの嬉しさは格別だったのではないだろうか。  この句、「灯ともせば」のあとに「一輪咲きぬ」と続けて、原因と結果を表す詠み方をしている。灯りをつけたから、梅が咲いた、というわけである。そんなこと、実際にはあり得ない。しかし敢えて「咲きぬ」と言い切って、この句に素晴らしいパワーを生みだした。一輪見つけた、一輪咲いていた、では当たり前のことだ。梅の花を愛する人が目をやったときに、この花は咲くのである。(恂)

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待つことになれし病廊黄水仙   山口 詩朗

待つことになれし病廊黄水仙   山口 詩朗 『この一句』  句会で最高点を得た句だが、合評会ではあれこれ疑問が投げかけられた。まずは「病廊」という造語の可否。まあ病院の廊下であることは分かるし、病棟、病室ともいうのだから病廊があってもいいじゃないかということになった。  次に、兼題が冬の「水仙」なのに、逆らうように春の「黄水仙」をもって来たのはどういうことだと。これも「病院ですしね、水仙では少し寂し過ぎる。春の黄水仙でちょっと明るい感じになるのがいい」ということで許された。  三つ目は「『待つことになれし病廊』とはどんな情景を言うのか」という疑問。二三の人は「入院生活が長くなり、待つことに慣らされてしまった。家族か知り合いか、誰か来てくれないかと廊下にまで出て待っている」状況と受け取った。しかしそれは深読みが過ぎる。  入院にせよ通院にせよ、検査だ診察だとあちこち回されて、その都度待たされる。点滴薬のぶら下がった洋服掛けのようなのに掴まって、壁際の黄水仙をじっと見つめている。「病院は待つことと見つけたり」と大悟した作者の心境を汲むだけで十分である。(水)

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音立てて酷寒の雲海に落つ   直井 正

音立てて酷寒の雲海に落つ   直井 正 『季のことば』  厳寒、酷寒、極寒、厳冬、いずれも一月末から二月初めにかけての大寒のピーク、寒さも極まった頃を言う。字を見るだけで、また「ゲンカン」「コッカン」という響きからも震えを覚える。日経俳句会勉強会の席題にこの季語が出され、即吟した中で最高点を得た句がこれであった。  「雲が音を立てて落ちるわけはないんですが、厳寒の雷を伴って雪を降らせるような雲を感じさせる」「厳寒、酷寒という言葉には音立ててという感じがしますよ」「なんというか、神々の黄昏というか、壮大な景色でいいですね」と、ワグナーまで引き合いに出されるほどの絶賛を博した。  作者によると真冬の日本海の光景だという。厚い黒い雲に覆われ、やがて「鰤起し」と言われる寒雷を伴う雪やみぞれ混じりの烈風が吹きすさぶ。正直なところ私は、「音立てて」「酷寒」と来て「雲海に落つ」と、あまりにも大げさな詠みっぷりに少々辟易したのだが、今じっくり見直すと北日本の過酷な冬景色がまざまざと浮かんで来るのである。(水)

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