松とれて古き蕎麦屋に水仙花    水口 弥生

松とれて古き蕎麦屋に水仙花    水口 弥生 『合評会から』(水木会) 博明 松がとれて蕎麦屋の商売も一段落、客が少なくなった店に水仙がある。なかなかいい感じだ。 啓子 水仙の花は小さいけれど、よく店などに飾られています。それを古い蕎麦屋に配して、まさに日本的ですね。「松過ぎて」ではなく、「松とれて」としたのが上手だと思います。 睦子 古き蕎麦屋、松とれて、水仙。きれいにまとまっています。 二堂 松の内の水仙は、松や他の花があるので、脇役になっていた。松がとれて水仙が引き立って見えるという情景。水仙の奥ゆかしさがようやく主役になったのですね。 てる夫 松から水仙へのローテーション、という仕組みがあるのでしょうか。     *        *  「松とれて(松過)」と「水仙花」はともに季語である。つまり季重なりなのだが、不思議なことに、この句には全く違和感がない。試しに二つの季語の一方を、季語でない別の語に置き換えてみたら、句の味わいが消えてしまった。「季重なりの効用」というものがあるかも知れない。(恂)

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