火を焚くや赤尾の豆単めくれをり   井上 啓一

火を焚くや赤尾の豆単めくれをり   井上 啓一 『合評会から』(番町喜楽会) 正裕 赤尾の豆単、昔ですねえ。懐かしい。さすがにもういらないというので焚き火にくべている。炎でめくれているところが何か怨念めいて・・(笑い) 透 私は最初なんのことか分からなかったんですよ。あんまり昔のことで記憶の底から抜けてた。そうしたら、ありましたよねえ。懐かしくなって、すぐに採っちゃいました。           *  焚火の句をもう一句。これはなんとまあ「赤尾の豆単」である。あまりにも突然という感じで皆々呆気にとられた。赤尾好夫著「英語基本単語集」、通称赤尾の豆単が世に出たのは昭和十年(1935年)、その後「熟語」が付け加えられて改訂々々、中学高校生のほぼ全員が持っていたと言っていいだろう。  この人は本を捨てられない人らしい。奥さんに叱られてしょうがない、焚き火にくべた。しかし本はなかなか燃えない。棒でつつくとページがめくれてめらめらと炎が上がる。五、六十年前がふわーっと浮かび上がる。(水)

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夜焚火や原人そばにゐるやうな   徳永 正裕

夜焚火や原人そばにゐるやうな   徳永 正裕 『合評会から』(番町喜楽会) 大虫 自分も原人になったような気分でしょう。夜焚火は後ろの方が真っ暗で怖い。それで「原人そばにゐるやうな」が出てきたんじゃないかな。 春陽子 こういう絵を昔見た記憶があるんですよ。夜焚火ですからね。ちょいと外へ出たらこういう世界なんですよ。夜焚火の向こうには何があるか分からないという・・。 啓一 縄文時代を思わせるような雰囲気がありますね。 鬼一 自分も太古に返ったような気分がするんですね。           *  特に夜の焚火は幻想的だ。神秘的でもある。めらめらと燃え上がる炎には野生の血を呼び醒ます力があるようだ。この焚火は浜辺か山奥の野原か。かなり大掛かりな焚火の感じがする。背後に原人が近寄って来る気配がするし、自分もその仲間になったような気分にもなる。夜焚火の雰囲気がよく表れている。(水)

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断崖や水仙なりの土性骨        植村 博明

断崖や水仙なりの土性骨        植村 博明 『合評会から』(水木会) 啓子 野生の水仙は断崖などに群れていてか弱そうだけれど、土性骨があるっていうのが面白いですね。「水仙なりの」と言ったところも上手いこと詠んだと思います。 水牛 野水仙はもともと海岸地方のものですよ。断崖が崩れると球根はプカプカと海に浮いて、また次の海岸に取り付く。そうやって殖えていくんですね。 佐々木碩 だからよほど土性骨がないとやっていけない。 万歩 「水仙」の兼題をいただいて、海辺に咲く水仙の情景を詠んだ句が多かった。この句は「土性骨」という語との取り合わせが斬新な詠み方ですね。 智宥 水仙をほめすぎかとも思うけど(笑い)うまく捉えたなと…… *              *  この語の眼目は「土性骨」だろう。「水仙なりの」と相まって、何とはなしのユーモア、滑稽感を生んでいる。巧まずして頭に浮かんだ語であるに違いない。(恂)

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回廊の曲がりを飾る野水仙     高石 昌魚

回廊の曲がりを飾る野水仙     高石 昌魚 『この一句』  古い日本旅館、それも大きな温泉宿を思わせる。本館、別館などがあり、いくつかの建物は回廊、つまり長くて折れ曲がった廊下でつながっている。道路の下を通って別館に行く廊下などもあり、湯殿に向かうと緩やかな下りになっているようなところが多い。そういう廊下の曲がり角に水仙が活けられている。  宿屋の庭か、近隣の山際などに咲いていたものだろう。野水仙だから古来のニホンズイセンである。葉がたくさん繁っており、小さな花は目立たない。ところが茎の下のあたりを剪って一本だけを取り上げると、にわかに凛とした水仙特有の品格を放つ。それを二三本、小さな花瓶に挿して飾り棚の上に飾る。廊下の曲がり角だから、壁につくり付けられた三角形の小さな棚かもしれない。  作者は寒い廊下を通り、湯度に向かっているのだと、勝手に想像する。白いタオルを持ち、浴衣の上に丹前を羽織り、少し背を丸め、スリッパでぺたぺたと歩いて行く。角を曲がるとき、作者はふと目をとめた。薄暗い廊下の一隅に野水仙の数輪が白い光を放っていたのではないだろうか。(恂)

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水仙の香り賑やか寛永寺       池村実千代

水仙の香り賑やか寛永寺       池村実千代 『季のことば』  野生の水仙(ニホンズイセン)は球根が海流に乗って中国大陸から到来した、という説がある。日本海側に広がっているのはおそらくそのためだろう。海辺の崖に咲く様子などが俳句に多く詠まれてきたが、それらは花の数が少なく、倒れ伏す葉の中に数輪が見える、というような状態だ。  一方、公園の花壇などを飾る水仙は文字通り咲き誇る感じで、野生種とは雲泥の差を思わせる。日本の野生種を改良したものか、輸入種なのだろうか。いずれにせよ真っ白い花弁やその中の黄色い部分が実にあでやかで、しかもたくさん咲く。昨年、ある公園で見た水仙は花壇全面を覆うかのように咲き乱れており、いままでに体験したことのないほどの強い香りを漂わせていた。  あの香りをどう詠んだらいいのか、と時々考えていたのだが、「香り賑やか」の表現に出会って、「これだ」と膝を打つ思いがした。徳川家の菩提寺の上野・寛永寺は、維新の頃に隆盛を失った。あの境内の一角に芳香を放つ水仙の花壇があるのだろう。久しぶりに寛永寺に行ってみようか、と思った。(恂)

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松とれて古き蕎麦屋に水仙花    水口 弥生

松とれて古き蕎麦屋に水仙花    水口 弥生 『合評会から』(水木会) 博明 松がとれて蕎麦屋の商売も一段落、客が少なくなった店に水仙がある。なかなかいい感じだ。 啓子 水仙の花は小さいけれど、よく店などに飾られています。それを古い蕎麦屋に配して、まさに日本的ですね。「松過ぎて」ではなく、「松とれて」としたのが上手だと思います。 睦子 古き蕎麦屋、松とれて、水仙。きれいにまとまっています。 二堂 松の内の水仙は、松や他の花があるので、脇役になっていた。松がとれて水仙が引き立って見えるという情景。水仙の奥ゆかしさがようやく主役になったのですね。 てる夫 松から水仙へのローテーション、という仕組みがあるのでしょうか。     *        *  「松とれて(松過)」と「水仙花」はともに季語である。つまり季重なりなのだが、不思議なことに、この句には全く違和感がない。試しに二つの季語の一方を、季語でない別の語に置き換えてみたら、句の味わいが消えてしまった。「季重なりの効用」というものがあるかも知れない。(恂)

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日脚伸ぶ少しゆっくり山歩き   藤村 詠悟

日脚伸ぶ少しゆっくり山歩き   藤村 詠悟 『季のことば』  一月下旬あたりの晩冬を言う季語が「日脚伸ぶ」である。最も日が短くなる冬至(十二月二十二日頃)の日没は午後四時半、日中の時間が最も長い夏至(六月二十一日頃)になると午後七時となる。半年で二時間半の差、つまり冬至から夏至にかけては一日ごとに約五十秒ずつ日が伸びて行く。  暮れから正月にかけてはあれやこれやあって、瞬く間に日が過ぎてしまう。ふと気がつけばもう一月も下旬になっている。会社勤めがあるわけではない、別にさしたる用事があるわけでもない年寄りでも、年末年始は慌ただしい。気ぜわしさから解放されて、ふと見回すと「そう言えばずいぶん日が長くなって来たなあ」と気がつく。  金沢文庫に住し散歩を日課にしている作者は、「今日は天気もいいし、ひとつ足を伸ばして称名寺の裏山にでも行ってみようか」と思う。「少しゆっくり山歩き」に日脚伸ぶの気分が遺憾なく表されている。(水)

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孫帰り障子の穴や日脚伸ぶ   黒須 烏幸

孫帰り障子の穴や日脚伸ぶ   黒須 烏幸 『この一句』  正月休みで来ていた孫たちが帰り、嵐の後の静けさが戻った。作者によれば奥さんはどっと疲れが出て風邪で寝込んでしまったという。「私も風邪気味、どうやら孫にうつされたらしい」と苦笑している。  とにもかくにも老夫婦二人だけになった家の中は妙に広くなったように感じる。大事をとって一週間ほどは外出を控えた。何もすることがない。新聞も読んでしまったし、テレビはろくなものをやっていない。こういうときこそ積んである本を読む絶好の機会なのだが、どういうわけかその気にならない。  今年の冬はめずらしく寒い日が続く。しかし暮れから晴天続きで、差し込む冬日はまぶしく、暖房の効いた室内は眠気を催す温かさだ。障子を閉てきってちかちか眼を射る日差しをさえぎり、うとうとする。「おや、あんなところに穴が開いている」。障子の穴から一筋の光が部屋を斜めに過ぎっている。「やりやがったな」とオジイチャンは孫どもの冒険の跡をなぞる。『孫俳句』の中ではこれはとても気持の良い句である。(水)

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暁闇の小便起きの寒さかな   片野 涸魚

暁闇の小便起きの寒さかな   片野 涸魚 『この一句』  「小便起き」とはまた妙な言葉遣いだが、言い得て妙である。同じ句会に「初夢を頻尿癖に破られり 正裕」という句も出されたが、なんと言っても高齢者にとっての悩みの種がこの「小便起き」。せっかくぬくぬくと寝ているところを起こされるのだからたまらない。もう少しもうしばらくと我慢するのだが、ものには限界がある。覚悟を決めて起き出す。午前四時頃の便所の寒さといったらない。体内から暖まった液体を大量放出するせいか、ぶるぶるっと武者震いが起こる。  「一度は当たり前、二度は普通、三度となると要注意」などと言われる。医者は何かというと「加齢」のせいにするが、この頻尿ばかりはまさに加齢のなせる業であろう。あきらめて寒中トイレ行を受け入れなければなるまい。  しかし、勇を鼓して布団を抜け出し、決行して再び温かい寝床に潜り込む気持の良さは何ものにも代え難い満足感がある。何か大事業を仕遂げたような気分で、また眠りに落ちて行く。(水)

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初夢は妻を見染めし学食堂   岡田 臣弘

初夢は妻を見染めし学食堂   岡田 臣弘 『合評会から』(酔吟会) 正裕「若々しいですなあ。いや、本当に見たのか、奥さんに気を使っての初夢句か・・」(爆笑) 詠悟「こういうロマンチックな句は正月らしくていいなあ」 涸魚「いやあ愛妻家なんだなあ。『学食堂』なんて具体的ですからね、ほんとに見たんじゃないかな。だけどまあカミサンにだいぶ気を使ってるような感じはしますがね(大笑い)、いや面白い」。           *  七十歳をとうに越した人がこういう句を詠むとは何ともうらやましいと、新年句会の一座は大いに湧いた。作者の学生時代を知っている正風さんが、「奥さんにノート見せてもらって試験が受けられたという噂もある」とばらし、「そんなことありませんよ」と真っ赤になって否定する作者。そこでまたまた哄笑の渦。この句のおかげで初句会らしい空気が盛り上がった。(水)

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