淋しさの距離だけ動く古障子   三好 六甫

淋しさの距離だけ動く古障子   三好 六甫 『この一句』  年寄りにはなんとも身につまされる句である。老人の独り住まいであろう、いつもひっそりとしている家がある。その前を通り過ぎるたびに、何気なく見るともなしに目を遣るのが習慣のようになっていた。  おや、今朝はどうしたのだろう、めずらしく障子が開いている。しかしそれはわずか10センチか20センチくらいで、その家の住人が隙間から外を眺めているようだ。つい気になって目をこらしたら、障子がすうっと閉じられた・・。  とまあ、こんな情景を想像したのだが、果たして当たっているかどうか。「淋しさの距離だけ動く」というのが何とも気になる叙述だ。もしかしたら、とんでもない読み方をしているのかも知れない。この作者はしばしばクイズのような句を出して、ひとが見当外れな読み方をするのを面白がる癖があるから、おちおち油断がならない。(水)

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草紅葉女ばかりの芋煮会   鈴木 好夫

草紅葉女ばかりの芋煮会   鈴木 好夫 『この一句』  日経俳句会では3年前から奥の細道のルートを大垣から逆に辿る「逆回り奥の細道吟行」を実行している。10月末にはその第5回として、山形・立石寺から山刀伐峠、封人の家、尿前関を訪ねた。これは立石寺の麓を流れる川のほとりで繰り広げられていた山形名物芋煮会風景の嘱目である。  今や「芋煮」は全国的に有名になり、肉なども入った豪華版だが、昔はごく素朴なものだったらしい。秋の収穫を終えてほっとした山国の人たちが、川原で火を焚き大鍋をかけ、持ち寄った里芋や茸をはじめ野菜を煮込んで、熱々を頬張りながら一杯やった。  昔は鍋をつつきながら大騒ぎするのは主として男どもだったが、今では女も負けてはいない。ちょうど我々が見かけた山寺の芋煮は老若取り混ぜての女ばかりの賑やかな集いだった。折からの秋時雨、慌てたのだろう山寺駅に向かう橋の下に引っ越して気勢を上げていた。こういう場面に出くわすのも旅の楽しさである。(水)

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本堂の障子震はすジャズバンド   谷川 透

本堂の障子震はすジャズバンド   谷川 透 『合評会から』(番町喜楽会) 百子 お寺の本堂で障子を閉め切ってジャズバンドの演奏。大きな音が障子を振るわせて外にも響く。古さと新しさの組み合わせが面白い。 啓一 お寺でこういうイベントをやるのが近頃の流行のようになっているようですが、そういう現代世相を取り挙げたところがいいですね。障子でね、ジャズ演奏が一層響く感じもしますね。 春陽子 この句はまさに音を感じますね。テレビでこうした場面を紹介していたのを私も見て、ああいいもんだなと思っていましたので。 厳水 お寺でジャズという滑稽味と、お寺も注目を集めないとますます人が来なくなっちゃうんだという世相を取り込んだところが面白いなと思いました。           *  大向う受けをねらって奇矯な催しをやるお寺が方々に出ているようだが、そういうのは嫌らしい。ひなびた寺にジャズ愛好家が集まって演奏会を楽しんでいる風景だと微笑ましい。(水)

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萩の花咲いているかと臥せる友   岩沢 克恵

萩の花咲いているかと臥せる友   岩沢 克恵 『この一句』  長いこと病床にあると、外の世界の変化が人一倍気になるだろう。寝ながら本を読むのはとても疲れる。テレビは見るに値するような番組がほとんど無い。ラジオも近頃のNHKは若者向けの軽薄なものか、聴取者からのどうでもいいような世間話を際限もなく垂れ流す番組ばかりである。  天井を見つめたり、窓の外の空を眺めたりしていると、どうしてもあれこれ考え始め、外界の動きに思い巡らす。季節の移ろいは、元気に外を飛び回っている人よりもむしろ鋭く感じ取る。「ああもう萩が咲いているはずだ」と思う。大好きな萩が見られるのはいつのことだろうか、当分は見舞いに来てくれた親友に花の様子だけでも聞いて満足するしかないだろう・・。  この句を見て子規の「いくたびも雪の深さをたづねけり」を思い出した。片や病床から再三再四外の雪の様子を聞く自分に気がついて詠んだ句。こちらは病床の友に突然聞かれて、万感迫る思いにとらわれて詠んだ句。どちらも読む者の心に迫ってくる。(水)

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手術待つ妻饒舌に長き夜       大澤水牛

手術待つ妻饒舌に長き夜       大澤水牛 『この一句』  奥さんの手術の日が近付いた。どちらかと言えば無口な方だが、急におしゃべりになってきた。これまでは早寝の奥さん、宵っぱりのご主人(作者)だった。ところが最近では秋の夜長をともにしている。医師から、心配ない、安全だ、と言われてもやはり不安になる。その一方で早く手術を終えたい、と待ち焦がれるような思いもある。そんな複雑な奥さんの心理が「饒舌」の一言に込められている。  手術の当日、待機室にいたご主人は、句帳を広げて一句、一句と書きつけていった。ところが後になって句を見ると「どれもうわごとのようなもので、つくづく人間が出来ていない、と思った」とご当人が語る。しかしそれは、人間の出来、不出来とは別の問題だと思いますがね。  結果をお知らせしなければならない。医師の説明では「ほぼ完璧」だったそうである。ともかくよかった、よかった。これから元通りの生活に戻って、ご主人には独りだけの長き夜が訪れる。待機室で記した“うわごと”が立派な句に練り直され、やがて句会に登場してくるのではないだろうか。(恂)

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ひやひやと肌につけたる黒真珠       星川佳子

ひやひやと肌につけたる黒真珠       星川佳子 『合評会から』(番町喜楽会) 而雲 真珠は白い方が冷たそうですが、この句を見ていたら、黒真珠の“ひやひや度”が迫ってきました。 楓子 黒真珠はお葬式に着けるでしょう。ひやっとした感じ、ありますよ。 大虫 黒真珠というのは真っ黒じゃなくて、銀色っぽく光るやつじゃないんですか。それが、胸元の白い肌に光って、ひやひやと……。これは、なんとも言えない。 誰か 大虫さん好みの句なんですね。(大笑い) 塘外 いや、私もね、想像力を非常に刺激されました。これは一九五〇年代のフランスのギャング映画なんです。(ほーっという声)。ボスはジャン・ギャバン、情婦はフランソワーズ・アルヌール。お出かけ前のアルヌールが鏡に向かって化粧中で、白い胸、ブラジャーは黒。そこに黒真珠ですよ。そういう自分の姿を恍惚として眺めている、という場面なんですね、これは。(大笑い)。               *         *  「ひやひや」は秋の季語。「冷たし」「ひえびえ」などとともに「冷やか」の傍題になっている。(恂)

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街路樹の淡き影踏む秋の末      久保田操

街路樹の淡き影踏む秋の末      久保田操 『この一句』  こんなこと私にもあった、と思わせる一句。この時期、たまには夏日(気温25度以上の日)にもなるが、日差しはさすがに弱まり、薄曇りの日などはすべての影が薄らいでくる。作者は歩道に映る街路樹の影を踏みながら、冬がそこまで来ていることを実感しているのだろう。  衒(てら)いのない詠み方である。あっさりして、淡彩画のようで、どこかで見たような句、という印象もある。しかし、このように詠んで悪いということはない。風景画にもよくあるではないか。同じような構図、同じようなタッチの絵は無数にあるが、どんな絵でもいいものはいい絵なのだ。  季語を「秋の末」としたところに、ちょっとした工夫が見える。秋の終わりを表すだけなら、「暮の秋」などたくさんの季語があるが、多くは「秋の暮」と印象が重なり、何となく夕方の感じになってしまう。作者は日中の柔らかな日差しを詠んで、晩秋から冬へという季節の移り変わりを表現したかったのだ。すらすらと作ったように見えて、実は苦心の一作であったのかも知れない。(恂)

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