椋鳥の千羽傾く西の空        佐々木碩

椋鳥の千羽傾く西の空        佐々木碩 『季のことば』  椋鳥(むくどり)は一年中、日本列島にいるのに、なぜ秋の季語になっているのか。春や夏にかけては涼しい土地にいるらしいが、繁殖期を終えた秋、東京などの都会に姿を現すからではないだろうか。その現れ方、集まり方がもの凄い、ということが近年、よく知られるようになった。  私(筆者)がたびたび実見したのは、千葉県松戸市のある大通りの上空である。日暮になると一群が現れる。その数数百羽というところだが、上空をぐるぐる回っているうちに、次の群れがやってくる。さらに一群、また一群。いくつかの群が集まったり、分かれたりする有様はまさに壮観。一群が円盤状になり、斜めになって飛ぶ様子は「千羽傾く」という表現そのものである。  その後がたいへんだ。街路樹にどっと集まり、ねぐらに適当な枝を探しながら「ギャーギャー」の大合唱。さらに糞を絶え間なく落として、翌日には歩道が真っ白になる有様だから、近隣の方々には大迷惑だろう。しかし、と言わしてもらう。椋鳥のあの群舞。俳句作りには何とも魅力的な光景なのだ。(恂)

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地獄絵図ルーペでめぐる夜長かな   大倉悌志郎

地獄絵図ルーペでめぐる夜長かな   大倉悌志郎 『この一句』  閻魔大王の支配する地獄。古来日本人は深くこれを信じ、身を慎むよすがとし、平安時代には地獄信仰まで生まれた。後白河法皇が描かせたとも言われる地獄絵図(地獄草紙)が東京国立博物館や奈良国立博物館にある。亡者の行く先々に火炎が噴き上がる「雲火霧」、剣の山に追い込まれた亡者に火の雨が降り注ぐ「雨炎火石」、巨大な鶏が炎を吐きかける「鶏地獄」、鬼どもが死者を鉄の臼で磨り潰す「鉄鎧所」・・これでもかとばかり凄惨な図が繰り広げられる。  この伝統が延々と江戸時代、明治の初めまで受け継がれ、歌川国芳や河鍋暁齋がおどろおどろしい地獄図絵を描いた。罪の無い庶民はそういう絵を眺めては、カミさんを毒づいて泣かせたことや、哀れな野良犬を蹴飛ばしたことなどを思い返して反省する。四億円の出所を説明出来ないまま開き直る政治家や、会社のカネを百億円も引き出してカジノにのめり込む三代目社長とは縁もゆかりもない、あくまでも善良なる市民の夜長である。(水)

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霧流る女人高野の無明橋   大平 昭生

霧流る女人高野の無明橋   大平 昭生 『この一句』  作者は10月21日朝、急性腎不全で亡くなられた。七十七歳だった。日経俳句会酔吟会で長年俳句を詠み合い、吟行に出かけ、その穏やかな人柄で皆から慕われていた。この句は故人にとって最後の句会となった9月10日の酔吟会に出されたものである。  旅と碁と釣りと音楽と手料理が大好きな人だった。読書は趣味というよりはもう日常の暮らしに組み込まれていた。しかしそこから得られた知識をひけらかすことなど決してしなかった。  室生寺の五重塔の横手の道を少し下り、急な石段を登りつめると奥の院に至る。石段の手前にあるのが無明橋。霧のかかることが多い。恐らく何年か前に、夫人と共にこの橋を渡った時のことを思い出したのだろう。  この句会には上掲の句をはじめ、まだ駆け出し記者時代の「夜回り」取材を回想した「霧晴れぬままに夜回り終へにけり」(9月15日当欄掲載)や「終バスに乗り遅れけり霧の夜」、「新蕎麦を打つ包丁を研ぎ立てて」と若き日の想い出を連ねていることに気がついた。(水)

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特別なことは望まず小鳥来る   横井 定利

特別なことは望まず小鳥来る   横井 定利 『合評会から』(水木会) 高石昌魚 「小鳥来る」の季語には苦労したのですが、ああそうか、特別なこと考えなくてもいいんだと(大笑い)。小鳥はなにも望んでいるわけじゃないし、これで面白いなと。 実千代 広い範囲でこれも震災の句かと思った。日々の生活の中で、夏が来て秋が来たなということを詠んだ。 啓明 池村さんのおっしゃったのと同じで、高望みしないで生活している。小鳥来る季節になった感慨がすっと入ってくる。           *  合評会でいろいろな意見が出たのを聞いていたら、なかなか深い味わいがある句だと思えてきた。小鳥は本能に従って決まった時に来る。確かに何かの思いに駆られて飛んで来るわけではない。上五中七は、常々そう思いながら一向に悟りきれない自分に苦笑している感じも浮かび上がってきて面白い。(水)

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行く秋や人は口癖繰り返し   今村 聖子

行く秋や人は口癖繰り返し   今村 聖子 『合評会から』(水木会) 詩朗 こういうことってあるんじゃないかと思った。私も似たような句を出したんだけどさっぱりで(大笑い) 光久 この口癖というのは「秋になったと思ったら、もう終わりだ」というようなものだろう。つい口に出すのを素直に詠んでいる。 正市 心象をうまく詠んだ句だと思います。           *  「別に秋でなくても口癖を繰り返すことはあるのかなとも思ったのですが」と作者は言うが、「行く秋」ととてもよく合っていると思う。晩秋は何とはなしの淋しさや、物思いを誘う季節である。木々の葉が色づき散り始めると、世の中の動きも人の暮らしも急に慌ただしさを増してくる。ふっと我に返り一息ついた時に、口癖をつぶやくのだ。人情の機微をうまく捉えている。(水)

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その中に宇宙を秘めし露の玉    井上庄一郎

その中に宇宙を秘めし露の玉    井上庄一郎 『合評会から』(銀鴎会) 大虫 露は表面張力で玉になるから、周囲が全部映る。それを「宇宙を秘めし」と詠んだ。すごい想像力だ。 碩 露の玉に宇宙を見るというのは、うまいですね。色彩のある世界がある、宇宙が見える。 昌魚 壮大な表現力ですね。このような表現は私にはできない。 広上 作者は、じっと見ていたんでしょう。見たものを大きく表現したことがすばらしいです。ただ私は「その中に」が気に入らない。どう言えばいいか分からないが。 恂之介 中七、下五で言い切っている感じです。 水牛 「その中に」は、よくある表現ですからね。この語はない方がいい。 井上(作者) 露の玉には何かが写っていますが、形をなさなくて、天空を秘めているように思いました。しかし「その中に」は、皆さんのおっしゃる通りです。そこにどういう語を入れるか思いつかなくて……。「その中に」「その上に」とか、よく使われる言葉ですからね。               *          *  大きな宇宙の中に小さな露がある。小さな露の中に無限の宇宙がある。(恂)

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腹の結石(いし)動く気配の夜長かな     金田 青水

腹の結石(いし)動く気配の夜長かな     金田 青水 『合評会から』(銀鴎会) 而雲 これ、やった人じゃないと作れない句でしょう。私はこういう経験がないので、「気配」と言う語に、成程そういうものか、と感心しました。 山口 多少、川柳的で、面白いですが、やったことがないとピンとこない。これ、いい句なのかな。 水牛 いや、やったことない人間でも分かる句でしょう。 冷峰 小沢(一郎)さんのような尿管結石だと気配が分かりそうだが、腹の石となると胆石でしょう。胆石は分かった時点で痛くてかなわない。結石を知らない人が想像で作った、という疑いもある。 二堂 尿管結石は、もとは腎臓結石でしょう。それを爆破して、粉々に砕いて出したりする。しかし砂のように小さくならないから、押し出す前に気配があるんじゃないですかね。 誰か 鈴木好夫先生(医師)に聞いてみましょうよ。 好夫 気配のあるような感じがする、気がする、ということでしょうね。          *           *  これは欠席投句。体験の句か想像の句か、確かめることは出来なかった。(恂)

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髪長き孫娘なり運動会          田中 頼子

髪長き孫娘なり運動会          田中 頼子 『この一句』  孫の俳句はおおむね良くない、と言われるが、この句はその範疇に入らない。乳幼児ではなく、小学校の高学年、あるいは中学生くらいの子を詠んでいる、と思われるからだ。祖母が運動会に行き、大勢の生徒の中にいる孫娘を見つけ、おや、あの子は髪が長いのだ、と気づいたのである。  祖母は孫と同居しているのかも知れない。そうでなくても、しばしば会っているのだろう。運動会は保育園か幼稚園のころから、よく見に行っていた。それなのに、この年の運動会に限って、髪の長さに気づくことになる。子供であった孫が、大人の入り口に立っていたのだ。驚き、嬉しさ、それに孫が一人の女性になって行くことへの複雑な思いなどが、祖母の心の中で絡み合っているらしい。  運動会は秋の季語。春にも行われているが、東京五輪の後に体育の日が制定されて秋の印象がより強くなった。秋晴れの下、家族そろってお弁当を持って見に行くなど、日本独特の運動会の風景がある。子や孫の成長を確かめる場になっていることも、日本の運動会の特徴と言えるのだろう。(恂)

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こうなれば趣味は長生き茸鍋       杉山 智宥

こうなれば趣味は長生き茸鍋       杉山 智宥  『この一句』  何が「こうなれば」なのだろうか。若い頃は「太く短く生きる」なんて粋がっていたのに、 古希になってもまだまだ元気である。ちょっと気恥ずかしいが、「こうなれば趣味は長生きだ」と開き直ってみようか……。なんてケースを考えたが、ほかにもいろいろあるだろう、と考えていて、了解した。 この句は、老境に近づいた、あるいは老境に入ってしまった男たちに、ほぼ共通する思いを大まとめに詠んでいるのだ。働き盛りの頃は、日々の戦いに頭がいっぱいで、長生きなんて考える余地はなかった。いい仕事をする、家族を養う、栄達を目指す。しかし男の戦いを終えてみると、もう為すべきことがない。何をしようか、そうだ長生きでも趣味にしようか、となるわけである。  そんな思いを俳句に仕立てる場合、どんな条件が適当か。季節は秋に限る。季語の候補はいくらでもあるが、「茸鍋」と言われてみると、これに勝るものはないような気がしてきた。鍋物で考えてみれば、肉類などのカロリーが高いのはだめだ。かと言って湯豆腐では淋しい。茸鍋か。うん、これがいい、と納得する。(恂)

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とろとろと温み取り込む柿簾   井上 啓一

とろとろと温み取り込む柿簾   井上 啓一 『合評会から』(番町喜楽会) 楓子 柿は冷たい食べ物。それが干し柿になると温かい食べ物になる。とろとろとお日様を取り込んでという感じがよく出ています。どう、うまいこと言うでしょ(爆笑)。 而雲 星川さんの「柿すだれ色のとけだす日差しかな」と似通っているんですよね。どちらもいいですね。あっちは視覚、こっっちは触覚ですかね。「とろとろと」がちょっとどうかなとは思ったんだが、分かりやすい句だ。 詩朗 柿の色の句はよく出て来るが、こちらは晩秋の肌寒さの中の温みというのがいいなと思いました。           *  擬音語はくせ者である。ぴたりとはまれば絶妙な味になるが、安易に用いると句が薄っぺらな感じになってしまう。この句の「とろとろ」についてもひとしきり議論があった。でもまあ、いかにも「とろとろ」という感じではないかということで落ち着いた。(水)

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