新蕎麦や水ほとばしる馬籠宿   吉野 光久

新蕎麦や水ほとばしる馬籠宿   吉野 光久 『季のことば』  爽やかな秋を表す季語には視覚や聴覚を通したものが多いが、「新蕎麦」は味覚、嗅覚それに舌触りと喉越しの触覚を通して秋を感得する。味覚の秋とも言い、山の物も海の物も旨味が乗って来る。猛暑で弱った身体もそうした美味によって体力を回復する。新蕎麦はさしづめその一番バッターであろうか。  蕎麦は普通は秋に花咲かせ実り、冬に穫り入れるので、「蕎麦の花」は秋の季語、「蕎麦刈」「蕎麦掻き」「蕎麦湯」などは冬の季語とされている。蕎麦を刈り取る前に、新蕎麦という完成品が先に立つのはおかしいようだが、これは早蒔きして早穫りする特別品というわけである。初物好きの江戸っ子が生んだ産物で、関東近県、長野県あたりで江戸時代から盛んに作られてきた。  この句は中山道馬籠宿で新蕎麦を賞味した喜びを詠んでいる。実に爽やかで、寿命が伸びるような気分に浸る。「馬籠」と「新蕎麦」の組み合わせはいかにもありそうな、ありきたりな感じだが、「水ほとばしる」と中七に置いたことで臨場感をもたらし、句が生き生きとした。(水)

続きを読む

鐘楼に人影遠く秋の暮         笹本 塘外

鐘楼に人影遠く秋の暮         笹本 塘外  『この一句』  鐘楼(しょうろう)は「しゅろう」とも言うが、鐘撞堂(かねつきどう)の方がより一般的だろう。周辺に広く時刻を知らせる役割も持つので、音が遠くまで届くところ、つまり町や村が直接、見通せる場所に建てられていることが多い。逆に言えば、鐘楼は人々の住むあたりから、見えやすい所にある。  寺が夕方に鐘を鳴らすのは、昔は「暮れ六つ」、今では午後五時、六時あたりが多いようだ。その時刻になると「そろそろ鐘が撞かれる頃だ」と遥かな鐘楼を眺める。すると鐘楼に小さな人影が現れて、やおら鐘を一突き。「ご~ん」という音が町や村に届くまで、一秒くらいかかるのではないだろうか。  この句は秋の夕暮の一典型。都会の人には懐かしの風景になっているので、現今の句会では評価が下がってしまうかも知れない。時代とともに秋の暮も変化しつつあり、最近では「瓦礫の原の秋の暮」もよく見かける。そんな中、昔ながらのオーソドックスな秋の暮。なかなか捨てがたい味がある。(恂)

続きを読む

泣きぼくろ鏡に映す秋の暮       高橋 楓子

泣きぼくろ鏡に映す秋の暮       高橋 楓子  『合評会から』(番町喜楽会) 啓一 ちょっと作り過ぎかと思いましたが、女性のかわいらしさが出ていますね。「秋の暮」以外の季語を置いてみたらどうかと思いましたが……、やっぱりこのままでいいのかな。 詩朗 さびしい女性の気持ち。悲しくて鏡を見ているのだが、涙を流すほどではない、とい感じですね。 光迷 わびしい、さびしい、ということでしょう。句の背後にもっといろいろなことが隠されているようで、この女の人のことを考えさせられます。 冷峰 泣きぼくろって普通、鏡に映したくないんでしょう。映すというより、映ったのではないですか。 而雲 なるほど。「鏡に映る」もいいですね。 誰か 演歌っぽくないですか、これ。 *          *  作者は同じ句会で「愛しているなんていまさら団栗蹴る」という句も出した。こちらも一定の評価を得たが、二句は続きものの雰囲気がある。一方を短句にして並べると、連句の「恋」の場面になりそうだ。(恂)

続きを読む

迷ひたし知らぬ道とる秋の暮      星川 佳子 3

迷ひたし知らぬ道とる秋の暮      星川 佳子 3 『合評会から』(番町喜楽会) 而雲 これ、ちょっと珍しい句ですね。迷ってしまった、という句は多いが、自分から迷いたいというのはね。しかしその気持ち、何となく分かるんですよ。 水牛 へそ曲がりだね、この人は。そこがいいんだけれど。 塘外 道で迷ってみたい、という気持ち、私にもあるので、共感できる句ですね。ただ「道とる」がどうでしょうか。素直に「道行く」としてはだめですか。 而雲 自分から進んで知らない道に踏み込んでいく、という気持ちが「とる」でしょう。「行く」だと、その気持ちが表現出来るかどうか。しかし句としては、その方がすっきりしますね。 光迷 この人、何かあったんですかね。        *            *  迷子になれば、子供は心細くなり、泣いてしまうものだ。ところが稀に、迷子になっても平気で、知らない子供と遊んでいるような子がいる。句の作者は、そんな子供だったのかな、なんて思ってしまった。(恂)

続きを読む

伸び伸びとはみ出してゐる秋刀魚かな  山口 詩朗

伸び伸びとはみ出してゐる秋刀魚かな  山口 詩朗  『合評会から』(番町喜楽会) 透 「のびのびと」でしょうね、この句は。 冷峰 今日の昼食、蒲田でサンマ定食を食べましたが、まさにこの句の通りだった。今年のサンマは大きいです。大きいのがまた美味しいんですよ。 光迷 北海道の人から、今年のサンマ、大きいのが獲れそうだよ、という情報が来ていました。私は今日、今年のサンマ用の皿を焼いてきました(作者は陶芸をやっています)。 誰か サンマがはみださない皿ですね。 恵子 サンマだけでなく、この句自体が伸び伸びとしています。私もこんな句を作りたかった。 啓一 兼題は「秋の暮」と「団栗」。それらの句の中あって、新鮮に見えましたね。 厳水 「伸び伸びと」で始まり、何だろうと思ったら、サンマだった、という意外性がありました。 *          *  焼いた、皿の上、と詠まなくても、サンマの様子がありありと分かる。省略の妙技。(恂)

続きを読む

麹町給油所屋根に葡萄棚   小林 啓子

麹町給油所屋根に葡萄棚   小林 啓子 『合評会から』(水木会) 智宥 こういうのをよく見つけたなと感心しました。路地裏派の私としては好みの句です。 弥生 えっ、こんな所に葡萄棚があるのかという感じですよね。 正裕 たしかに実景なんでしょう。給油所があってその上に葡萄棚、こういう風景はほかにもあるんでしょうけど、お屋敷町の「麹町」がいいなと。           *  イギリス大使館から九段下方向に行った所のスタンドだそうで、葡萄の蔓が這っていて思わず笑みがこぼれたという。都心の一等地でこんなのんびりした商売ではどうなのかなと思っていたら、案の定潰れてしまったようだ。麹町と頭に置いて「おや」と思わせ、給油所屋根を這い回る葡萄を描く。意表をつかれ、自然に笑みがこぼれる。ただ、読み返しているうちに、「に」がなんとなく説明的な感じなので、「の」とした方が句にふくらみが出るのではないかと思うようになった。ともあれ見たままをすっと詠んだ、気持の良い句だ。(水)

続きを読む