久しぶり電気眩しき終戦日   井上庄一郎

久しぶり電気眩しき終戦日   井上庄一郎 『季のことば』  「終戦」か「敗戦」かについては戦後間もなくから議論があった。まぎれもなく「敗戦」なのだが、当時は「これで戦が終わったのだ」という安堵感でいっぱいになり、言葉のあやを詮索する余裕などなかった。誰もが負けたことは分かっていたのだが、わざわざ「敗戦」とは言いたくないという気持もあった。それやこれやでいつの間にか「終戦」が定着してしまったようである。  「終戦日」という季語は正しくは「終戦記念日」だが、8音もあって詠みにくいので、もっぱら縮小形で用いられる。しかし記念日なのだから、この日に寄せる思いを現在の物事に合わせて詠むのが本筋であろう。そうでなくては戦争を知らない世代がこの初秋の季語を用いて句を詠むことが不可能になってしまう。だが年配の人にはこの句のように「昭和20年8月15日」を詠んだものが多い。それほどこの日の印象が強烈なのだ。  前の晩までは厳重な灯火管制で、居間に40ワットくらいの電灯が一つ。それも黒い蛇腹型の覆いをはめ、かろうじて食卓を照らすだけだった。しかし今夜からは覆いなどなくても夜間爆撃はないのだ。裸電球がこんなにも明るいものだったのだと、しみじみ感じる夜であった。(水)

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