雲の峰つかめるところまで登る     高橋 楓子

雲の峰つかめるところまで登る     高橋 楓子  『この一句』  もくもくと湧き出した入道雲(雲の峰)は、山のように堂々として見える。雲と知っていても、登って行けそうな気がするし、近くに行けば掴んだり、触ったりするくらいは出来そうである。しかし現代人は何ごとも現実を優先しがちで、俳句を解釈するときにも、このタイプの作品は「雲をつかむことなど、実際にはありえない」などとして評価を下げがちになる。  山に登ってみると、頂上は晴天で、雲の峰は遥か遠くの山脈の上に立ち上がっていたりする。雲が押し寄せてくるのことがあっても、その中にいる実感は「五里霧中」というところ。しかしそのような現実だけを詠むのが俳句ではない。時にはスケールの大きく想像を羽ばたかせてみたいものだ。 「雲の峰に肘する酒呑童子かな」(与謝蕪村)。大江山の鬼神・酒呑童子(しゅてんどうじ)が雲の峰にひじを突き、酒を飲みながら下界を睥睨している、という場面だろう。江戸時代には、このような突拍子もない空想が、やんやの喝采を浴びていたようである。(恂)

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