百日紅老いたる幹の力瘤   大熊 万歩

百日紅老いたる幹の力瘤   大熊 万歩 『合評会から』(水木会) 二堂 百日紅は秋から冬に枝を切っちゃう。切ると瘤みたいのが出来る。それを詠んだ。小石川植物園に行くとものすごく背の高い百日紅がある。それをよく見ると瘤があって「力瘤」だと。いいところ見ているなと思った。 てる夫 「力瘤」がいいですねえ。これでいただきました。 智宥 このくそ暑い時季に一生懸命に元気に咲いている。それを「力瘤」ということで、老人のエラそうな感じもあって力強くていいなと。           *  確かに皆が言うように、この句の眼目は「力瘤」であろう。剪定しなくとも老樹になるに従って百日紅は瘤こぶになる。樹皮が剥けて名前の通りすべすべの赤茶けた幹が貫禄を見せる。厳しい残暑の日照りの中で、ピンクの花を咲かせている。白花も涼しげでいい。年寄りを励ましてくれている感じもする。(水)

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またひとつ木造三階消えし夏   杉山 智有

またひとつ木造三階消えし夏   杉山 智宥 『合評会から』(水木会) 博明 木造三階というのは戦前ですよね。そういうのが無くなって行くのは寂しい、そういう気持が表れていますね。 正裕 谷根千あたりでしょうか、木造三階が夏の間に一つ消えてしまったという感慨がすっと入ってきます。もったいないな、寂しいなという気持が伝わってきます。 十三妹 私はマンション住まいですが、近くに一軒だけ石塀の立派な家があったのが、この夏留守の間に無くなってしまった。それやこれやで、この句にはすごく実感があります。           *  これは有名な下宿屋だった本郷館だそうである。「取り壊し始めますとの札がかかってましたが、今日(8月17日)行ってみたら足場が組まれていて、マニアが写真撮ってました」という。懐かしい時代の建物が一つまた一つと消えて行く。それをそのまま素直に詠んで、しみじみとした感じを抱かせる。(水)

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甲斐駒の影が落ち行く葡萄棚   深田森太郎

甲斐駒の影が落ち行く葡萄棚   深田森太郎 『合評会から』(水木会) 啓子 これ少し作られ過ぎの感じもありますが、葡萄といえば甲斐だし、奇麗でリズムよく詠んで、情景も大きい。 操 スケールの大きさですよね。「影が落ち行く」という表現がいい、時間的経過も感じられます。 恂之介 甲斐駒は独立峰で堂々としている。葡萄棚は大体斜面にあるので夕方だとありそうな光景で・・、実際に見たのかどうか知りませんが(笑い)とてもいい句だと。 十三妹 風林火山なんか思い出しちゃって。いいですねえ。           *  夕日の中、甲斐駒の影が葡萄棚に落ちて、それがだんだん伸びて行くという。静かで、しかも大自然の大きな息吹を感じる。句会では大いに人気を呼んだ。作者は「実は桃狩りに行った時の光景ですが、たぶん葡萄でもこういうことになろうかと」と言って満場笑いの渦に巻き込まれた。いやいや照れることはない、葡萄棚でも確かにそうなるでしょう。(水)

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歳時記の隅に埋もるる敗戦忌   大澤 水牛

歳時記の隅に埋もるる敗戦忌   大澤 水牛 『この一句』 この句はブログ「水牛のつぶやき」の「俳句日記」から頂いた。その日のタイトルは「終戦」か「敗戦」か-8・15偶感、であった。日本人は第二次世界大戦の敗戦日を「終戦日」と言い習わしてきた。そこには「いやなことは忘れしまう」あるいは「済んでしまったことにはあれこれ言わない」という日本人特有の気風があり、ややもすれば責任逃れの傾向につながっていく、とブログは論じている。  実はこの句、数日前の句会(水木会)では、「歳時記の隅に埋もるる終戦日」として出された。句会ではそれなりの評価を得たが、作者には「いまいち」の思いがあったのではないだろうか。ブログで「敗戦忌」と改められた句を見たとき、私は、前句とは異なるある種の重さを感じた。  終戦忌、敗戦忌、あるいは原爆忌、広島忌、長崎忌は、俳人たちが作り出した語であるらしい。これらは一般用語にはならず、歳時記の隅に埋もれてきたと言えよう。しかしこれらには「終戦日」にはない深みがある。戦没者を真摯に悼む気持ちが「忌」の字に込められているからではないだろうか。(恂)

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添書に今日も晴れです終戦日   大沢 反平

添書に今日も晴れです終戦日   大沢 反平 『この一句』  残暑見舞いを兼ねた絵手紙(葉書)が来た、と想像してみた。例えば茄子一つが葉書からはみ出すほどに大きく描かれていて、僅かな余白に「今日も晴れです」という文字が書き添えられている、というのだ。句会でこの句を見たとき、「うまく詠むものだ」と感心した。戦争を知る最後の世代、つまり七十歳をいくらか過ぎた世代の人には、グッとくる一句ではないだろうか。  この世代にとって、「終戦日」という季語は「原爆忌」とともに特別である。人生の中で最初に体験した重大事であり、あの日を忘れようとして忘れることができない。当時、国民学校(小学校)への入学前後という年齢であるからこそ、あの日の空の青さを鮮やかに思い出すに違いない。  戦争への思いにも世代特有のものがあるようだ。それだけに「終戦日」を詠むと当時の記憶がストレートに表れがちで、俳句として趣に欠けることにもなる。この句の作者も同じ世代なのに、何とあっさりと詠めるものか、とうらやましくなった。なお作者の俳号「反平」は「反戦平和」の略だという。(恂)

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ちちははの言葉少なし終戦日   田中頼子

ちちははの言葉少なし終戦日   田中頼子 『この一句』  戦争の体験を語る人、語らぬ人がいる。どちらも戦争に反対し、平和を希求している点では変わりないのだが、辛い体験をした人ほど語らない傾向があるように思う。この句の父上、母上は「言葉少なし」だという。戦争のこと、終戦前後のことについて、悲しい思い出があるのではないだろうか。  作者に「兵の日を語らぬ叔父や秋の雲」の句もある。ことに戦場のことは語りたくない、という人も少なくない。何しろ生死をかけて戦いの場にいたのである。何十年経とうが、口にできないほどの悲惨さを体験していたはずだ。そういう人たちが、最晩年に至って、ついに語り出すことがある。あの戦争のことは、やはり後世に伝えておきたい、という気持ちになるからだろう。  私(筆者)の従兄は、兵としてボルネオなどに派遣されたが、戦争のことは頑としてしゃべらなかった。家族もついに戦争の話題を避けるようになっていった。しかし長い病の後に臨終を迎えた時、「行くな、危ない」と大声で何度も叫んだという。戦争のことをついに語った、と私は思っている。(恂)

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終戦日まだ追ってくるソ連兵   高瀬 大虫

終戦日まだ追ってくるソ連兵   高瀬 大虫 『この一句』  終戦の体験は百人百様。句会に終戦日という兼題が出ると、いままで聞いたことのない事実も明らかにされる。作者はソ連(現ロシア)が参戦した昭和二十年八月八日、父親の勤務するる樺太(サハリン)・恵須取の王子製紙の社宅にいた。ソ連兵がその地に上陸作戦を行ったのは八月十六日である。  終戦日以降も日本政府からは明確な指示がなかった。ソ連の無差別攻撃に対し、日本軍はなす術がない。在留の邦人は内地(北海道)へ避難すべく、列車、トラック、徒歩で大泊港を目指した。作者の家族は、その逃避行の最中にソ連兵に出会い、母親はソ連の艦砲射撃の一弾を受けて負傷する。  ソ連軍は日本の民間人も無差別に殺戮した。爆撃機などの攻撃だけでなく、病院に取り残された医療関係者や患者への銃殺もあった。真岡では郵便局電話交換手十人が集団自決を図り、九人が亡くなった。ソ連軍が南樺太全域を占領し、侵攻を終えたのは終戦日の十日後である。この句、「まだ追ってくる」という表現には、「六十六年後の今も」という意味が込められているのだろう。(恂)

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音も無く風化重ねし終戦日    野田 冷峰

音も無く風化重ねし終戦日    野田冷峰 『この一句』  風化とは岩石などが風雨などによって、崩れていく現象。しかし一般的には人の記憶や心のありよう示すことが多く、この場合は「歳月によって風化する」と言うべきだろう。上掲の句は終戦日に対する人々心の風化を「音も無く」と表現した。確かにその通りで、風化は知らぬうちにどんどん進んでいく。それに気づかされるのが終戦日だが、「風化したなぁ」と嘆きつつ年を重ねていくことになる。  則天武后に関する取材で、洛陽周辺に残る唐の時代の石碑を調べたことがある。千数百年前の石碑だから、風化が激しく、刻まれた文字はほとんど崩れ去っている。現地の研究者は「石碑に真実が残っている」と語っていた。後の歴史書の多くには、為政者の都合のいいような改竄が行われているという。  では、石碑が読み取れなくなると真実の歴史は消えてしまうのか。研究者は「大丈夫だ」と言う。その碑文を基に書いた歴史書があり、石碑から直接写し取った拓本も残されているからだ。第二次大戦でいえば戦争体験者の言葉が「石碑の文字」にあたる。われわれが最も大切にしたい「碑文」である。(恂) *          *  当欄、先週の担当者(水)氏が、8月14日(日曜日)から「終戦日ミニ特集」を続けた。今週担当の私(恂)もそれに倣い、終戦日の句を続けて紹介することにする。

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敗戦忌馬に蹴られし兵と会ふ   原 文鶴

敗戦忌馬に蹴られし兵と会ふ   原 文鶴 『この一句』  日経俳句会で実際に「兵隊さん」だった人はこの句の作者だけである。たしか輜重部隊だったと伺ったことがある。武器弾薬、食糧などをトラックや馬に引かせて運ぶ、軍隊には極めて重要だが地味で苦労の多い部署である。しかしこの作者もやはり戦争中のことはあまり多くは語らない。今更当時の辛かったことをあれこれ話しても仕方がないと思うのだろうし、自慢話に受け取られてしまうようなことも話したくないという心境に違いない。  生き残った戦友も寄る年波でだんだん減って行く。それでも同じ釜の飯を食った仲間との集いは何よりも懐かしい。「そうだった、お前は馬に蹴られたことがあったなあ」。馬は滅多に人を蹴りはしないのだが、よほど嫌気がさしていたに違いない。敗色濃厚、人も馬もいい加減くたびれていたし、殺気だっていたのだ。馬に蹴られた輜重兵というのは、今でこそ笑いのタネだが、当時はお笑いごとどころではなかった。「友と会ふ」ではない、こうして何十年たっても会えば「兵」なのである。ユーモアを感じさせる句だが、ずしりと来る。(水)

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終戦日父風呂に入れ背を流す   澤井 二堂

終戦日父風呂に入れ背を流す   澤井 二堂 『この一句』  いわゆる戦後派世代の人が詠んだ「終戦記念日」俳句である。苦しかった敗戦直後のことをおぼろげに知っている。さらに親や先輩から聞かされたり、本で読んだりして知識としては十分蓄えている。しかし終戦記念日という季語を突きつけられて、さあ詠めと言われても、なかなか実感が湧かない。  病を得て身体の自由が利かなくなった父親と一緒に入浴する。背中を丁寧に洗ってあげる。父親は黙ったままだが、とても気持が良さそうだ。あれほど力強く、仰ぎ見る存在だった父親が、今ではこんなにもすがれてしまった。オヤジは文字通りこの身体を張ってあの過酷な時代をくぐり抜け、我々家族を守ってくれたのだなあと思う。  「父風呂に入れ背を流す」という叙述にもう一工夫あって然るべきではないかと思いながら、一方ではこの素朴で素直な詠い方がかえってしみじみとした感じを表しているのだとも思う。この句は今後、「終戦記念日」「敗戦忌」という季語を詠み継いで行くに当たって、モデルとなる句なのではないか。(水)

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