川越に夜戦跡あり夏の月   井上庄一郎

川越に夜戦跡あり夏の月   井上庄一郎 『この一句』  小江戸と呼ばれる埼玉県川越市。平安時代から開け徳川時代には大老クラスの大名が治めて大いに繁栄した。戦国時代には関東の覇者となる野望を抱いた小田原北条氏が古河公方・関東管領上杉連合軍と激烈な戦いを繰り広げた。  観光客で賑わう「時の鐘」から1kmほど北へ上った志多町の東明寺境内に「河越夜戦跡碑」と彫った石碑がある。天文十五年四月二十日(1546年5月19日)深夜、河越城に籠城する自軍救出に向かった北条氏康は八万人の包囲軍に六千人の斬込み隊で奇襲攻撃をかけた。大混乱に陥った連合軍側は一万三千の戦死者を出し、中心人物の扇ガ谷上杉家当主上杉朝定は討死、古河公方は降伏、関東管領山内家上杉憲政は越後に逃れて長尾景虎(上杉謙信)に助けられた。  激戦地の東明寺付近からは宝暦年間(18世紀半ば)の整地事業の際に五百個もの髑髏が掘出され、明治時代の道路工事でもおびただしい人骨が出て来たという。五百年前にそんな修羅場があったことを知る人は今やほとんどいない。のんびりと芋菓子など食べながら夏の月を眺めている。(水)

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