惣領の老いて青梅黄ばみたり      高井 百子

惣領の老いて青梅黄ばみたり      高井 百子 『この一句』  広い庭に梅の木があり、そろそろ実が熟してきた。しかしこの家の主人はのんびりと構えている。久しぶりに実家を訪れた妹は、梅の木を見て「どうするのだろう、こんなに黄色くなっているのに」と気になってきた。母が健在だった頃、青梅のうちは梅酒に、うっすらと赤みが出てきたら梅干しへ、と決まっていて、この時期、一家は梅を中心に動いている、という感じがしていた。  「梅干しなら、まだ間に合うわね」と妹は水を向けてみた。老境に入ってきた兄は「そうだなぁ、おふくろがいた頃はたくさん作ったものだが」とにこにこしている。ボケてきたのかしら、という疑いは、兄の穏やかな表情でたちまち消えた。兄は兄のやり方で、この家を守っているのだ。  妹は兄を眺めて、これが円熟というものか、と思った。若いころに比べると角が取れ、旧家の主という雰囲気をまとっている。梅の実の黄ばんだ家。ここはもう父母の家ではない。そうなんだ、私の家でもなくなった、と妹は気づいた――。そんな一家の物語が浮かんでくるような一句である。(恂)

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三つ指をついて空みる青蛙       堤 てる夫

三つ指をついて空みる青蛙       堤 てる夫 『この一句』  蛙が「三つ指をついて」とは……、「まったく、その通り」と膝を打って感心するほかはない。俳句における「発見」とは、まさにこの句のようなことを言うのだろう。誰もが知っていて、誰も言わなかったこと。これこそが万人の理解し得る「発見」なのだ、と大いに感心していた。  ところが、問題が発生した。この原稿を書くために、念のため事典で調べたら、蛙の前足の指は四本であった。私は三本指だと思い込んでいたので、事典の記述に疑念を抱き、写真で調べてみた。四本指もあったが、三本指の方が多かった。真実はもちろん四本指である。しかし角度の関係で三本に見えることが多くなるらしい。目に見える現実は三本なのだ、と自分で納得した。  人間の指は五本である。そのうちの三つ指を突いて丁寧な礼をする。蛙が四本のうちの三本を突いて空を見上げていた、としても何らおかしくはなく、むしろ常識的な蛙の姿と言えるだろう。この場合、実際は四本指だよ、などと言っても何ら意味はない。三本だからこそいい俳句になったのである。(恂)

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紫陽花や傘を広げて写さるる      植村 博明

紫陽花や傘を広げて写さるる      植村 博明 『この一句』  写真を写されているのは間違いなく女性である。差しているのは雨傘か日傘か。どちらもあり得るが、紫陽花も写すのだから雨傘が似合うに違いない。女性は一人でもいいが、複数と見たい。「広げて」とあるから、「せっかく写真に撮るのだからだ」と、その場でみんなが色鮮やかな雨傘を広げたのだ。  初めは句の全体像がちょっと掴みにくい、と思った。まず作者の立場がはっきりしない。女性なら、作者たちが写されていることになるが、男性の作なのだから、傍観者の立場で一句にまとめたと考えるべきなのだろう。「傘を広げよう」と提案したのは写す人か、写される女性たちなのだろか、とも考えた。しかしこんな詮索は無用、ということが、やがて分かってきた。  女性たちが紫陽花と並んで写真を撮られている、という雰囲気そのものがこの句のテーマであった。それ以外のことは全く意味がなく、むしろ何も分からない方がよさそうだ。そう気付いて一句を見直してみた。すると俳句の中から、女性のにぎやかなおしゃべりや笑い声が聞こえてきたのである。(恂)

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川越に夜戦跡あり夏の月   井上庄一郎

川越に夜戦跡あり夏の月   井上庄一郎 『この一句』  小江戸と呼ばれる埼玉県川越市。平安時代から開け徳川時代には大老クラスの大名が治めて大いに繁栄した。戦国時代には関東の覇者となる野望を抱いた小田原北条氏が古河公方・関東管領上杉連合軍と激烈な戦いを繰り広げた。  観光客で賑わう「時の鐘」から1kmほど北へ上った志多町の東明寺境内に「河越夜戦跡碑」と彫った石碑がある。天文十五年四月二十日(1546年5月19日)深夜、河越城に籠城する自軍救出に向かった北条氏康は八万人の包囲軍に六千人の斬込み隊で奇襲攻撃をかけた。大混乱に陥った連合軍側は一万三千の戦死者を出し、中心人物の扇ガ谷上杉家当主上杉朝定は討死、古河公方は降伏、関東管領山内家上杉憲政は越後に逃れて長尾景虎(上杉謙信)に助けられた。  激戦地の東明寺付近からは宝暦年間(18世紀半ば)の整地事業の際に五百個もの髑髏が掘出され、明治時代の道路工事でもおびただしい人骨が出て来たという。五百年前にそんな修羅場があったことを知る人は今やほとんどいない。のんびりと芋菓子など食べながら夏の月を眺めている。(水)

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物置の奥に寝ていた竹夫人   高橋 淳

物置の奥に寝ていた竹夫人   高橋 淳 『季のことば』  これはまた非常にめずらしい季語を見つけたものである。「竹婦人」とも書き、「ちくふじん」と読む。細い割り竹や籐を長さ一メートルほどの細長い籠状に編んだもので、暑苦しい夏の夜にこれを抱きかかえて寝ると涼しくてまことに気持が良い。もちろん昼寝にだっていい。  江戸時代に大いにはやり、戦前まではどこの家庭にも転がっていた。一般には「抱き籠」と呼ばれていたようだが、しゃれっ気たっぷりな人たちが「竹夫人」と呼び習わし、夏の季語として盛んに詠んだ。しかし今ではかなりの年配でも「ちくふじん」と言われて「あああれか」と思い浮かべられる人はほとんどいない。だが近頃は抱き枕というのが結構人気を呼んでいるようだから、竹夫人も現代的装いで再登場するかも知れない。  作者は久しぶりに故郷に帰り、大掃除の手伝いか、捜し物かで物置を開けたのだろう。「なんだいこれは」ということになって、老親から故事来歴を聞かされ、面白がっているのだ。(水)

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夏帯を一呼吸してぎゅつと締め   岩沢 克恵

夏帯を一呼吸してぎゆつと締め   岩沢 克恵 『合評会から』(番町喜楽会) 六甫 花街のね粋筋のオネエサンが、さてこれからお仕事、という感じがしますな。いいですなあ。 百子 そうではないと思います。普通の家庭の奥さん。夏の着物、絽かなんかでしょうが、ちゃんとした所へ出かけるんで帯もきちんとしなきゃと、きつく締めるんです。 光迷 気が重いけど行かなきゃいけない所、お通夜や葬式なんかもそうですが、さあという感じが「一呼吸して」によく現れています。           *  六甫氏の読み方は実に面白い。しかし、やはり百子、光迷両氏のような場面ととるのが素直だろう。夏場の着物姿は傍で見る分にはきりっとした感じで清涼感を抱くが、身体の真ん中を帯で締め上げ風通しを遮断してしまうのだから、着ているご当人の苦労は大変なものだろう。「一呼吸して」気合いを入れるのもむべなるかなである。(水)

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万緑の一隅にあり文学館   今泉 而雲

万緑の一隅にあり文学館   今泉 而雲 『合評会から』(番町喜楽会) 楓子 文学館がぽつんとある。もしかしたら上野公園みたいな所かも知れませんが、万緑の中の文学館というのが雰囲気がありますね。 塘外 これはそう大きな建物ではないんだと思います。森の片隅に文学館がある。万緑に圧倒されるような気持が、くすんだ文学館でなんとなく解放されるような感じがあります。           *  一見まことに素っ気ない句である。森の片隅に文学館が建っているというに過ぎない。しかし繰り返し読んでいるうちに、気持が落ち着いてくる。不思議な句だ。楓子、塘外両氏の読みもなかなか深い。  作者によるとこれは目黒区駒場公園の日本近代文学館なのだという。加賀百万石の殿様、前田侯爵邸の跡地が宏壮な洋館・和館とともに公園となり、その片隅にぽつんと建つのが文学館。なるほど「万緑の一隅」である。歴史の重みと一緒に、やすらぎを覚える。(水)

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生きている今万緑の底にゐて   大沢 反平

生きている今万緑の底にゐて   大沢 反平 『この一句』  もし三十年前だったら……と考える。私はこの句を「大袈裟だな」と評したと思う。作者も私と同年輩だから、このように詠むことをためらったのではないだろうか。しかし今は違う。作者は自分の心を素直に詠み、私はこの句を見て、「本当にそうだなぁ」と心から共感する。互いに古希を過ぎ、命というものにまともに向き合うようになってきたからだろう。  この季節、木々は命に満ち溢れている。森の中でもいい、緑豊かな谷底でもいい。そこに居ればだれもが命を感じ、年とともに命への思いが深まっていく。俺はいま生きているのだぞ、と大声で叫ぶわけではないけれど、心の中にはそんな思いが渦巻くことがある。  年内の残り少ない日々を「数え日」という。七十歳にもなれば、もっと切実な「数え日」となるが、人間とは不思議なもので、悲しいとか辛いとかいう気分には全くならない。それどころか、何でも来い、何でもやってやろう、という勇気凛凛たる気持ちになる。だから作者はこのような句を堂々と句会に出し、私もこんな文章を「恥ずかしげもなく」書いているのである。(恂)

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