空豆を剥くうち怒り収まりぬ 大平 昭生
空豆を剥くうち怒り収まりぬ 大平 昭生
『合評会から』(酔吟会)
反平 具体的なイメージがいい。空豆が旨いとか五月が来て、とかいうのではなく、怒りが収まるという表現がユニークだ。
光久 空豆を剥いているうちに次第に怒りが収まったり、いらいらした心が鎮まるということはよくあることで、共感を覚える。
詩朗 原発への怒りというものもあるのではないかな。
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作者は「そんな高尚なものではなく、夫婦喧嘩の俳句です」と照れていたが、誰もが「こういうことってあるなあ」と思う。空豆のサヤの内側の柔らかな感触、剥いた拍子にポンと音がして豆が出たりして、心がなごむのだ。今や怒りの原因は至る所に転がっており、時々刻々増えるばかり。くだらない事にいちいち怒っていては身が持たないよと空豆が教えてくれる。(水)