夕薄暑青葡萄のような時      佐々木 碩

夕薄暑青葡萄のような時      佐々木 碩 『この一句』  この句はいわゆる「ごとく俳句」である。事物や事柄を「ごとく」や「ような」などによって表す俳句で、このような直喩はあまり用いない方がいい、と教える人もいる。ところが直喩の句には名句が少なくないのだ。例えば「去年今年貫く棒の如きもの」(高浜虚子)「ぼうたん(牡丹)の百のゆるるは湯のやうに」(森澄雄)。うーん、いいなぁ、私も作ってみようかな、という気にさせられる。  実際に作ってみると、うまくいかない。「滝のような汗」的な、すぐに思いつくものではありきたり過ぎる。いろいろひねっているうちに、独りよがりの難解句になってしまう。なるほどなぁ、と人を感心させるような比喩は、塀の上に立つような微妙なバランスの上に成り立っているものらしい。  夕薄暑と青葡萄はどうだろうか。句会で見た時は「気取りすぎかな」と思った。破調であり、口語体でもある。そういう常套的なモノサシで計ってしまったのかも知れない。しかし二三日後、ふとこの句が浮んできて、にわかに評価が変わった。夕薄暑と青葡萄の二語を頭の中に並べているうちに、両者が次第に接近してきたのだ。この句は名句かも知れない、と今では思っている。(恂)

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