一ミリの坊主頭や五月晴     大石 柏人

一ミリの坊主頭や五月晴     大石 柏人  『この一句』  その昔、子供の坊主刈りに「五分刈り」とか「三分刈り」というのがあった。五分は一寸(約3センチ)の半分だから、約一センチ五ミリ。くりくり坊主よりかなり長めで、親にこの刈り方を許されると、ちょっと大人になった気がしたものだ。ところが句の作者は三分よりもずっと短い一ミリにしてしまった。お坊さんの剃り上げた頭のようになったのではないだろうか。  同じ年寄りでも残りの髪に恋々としているのとは違って、まことに潔い態度だ。この人、まだまだ元気いっぱい、やる気十分、と思わせる。外を歩くとき、坊主頭は日光が直射するので、意外に熱いものだ。しかし風の心地よさは長髪とは比べようがなく、体の中に新鮮な気持ちが湧き上がってくる。  蛇足ながら五月晴れは、梅雨晴れのこと。雨続きの中の貴重な晴れの一日、作者は散歩をしているのだろう。頭に当たる風がばかに涼やかである。そうだ、きのう、頭を刈ったのだな、と気づく。そこで浮かんだのが上掲の一句。まあまあの句かな、などと思いながら、歩を緩めることはない。(恂)

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ラムネ抜く昭和の遠音響きけり   加藤 明男

ラムネ抜く昭和の遠音響きけり     加藤 明男 『季のことば』  夏の季語「ラムネ」の存在感はなかなかのものだ。同じ夏の季語のコーラ、ジュース、クリームソーダなどと比べると、消費量では劣っているはずだが、俳句につくられる数からいえば、他を圧しているのではないか。瓶の口のラムネ玉を「ポン」と押して開栓する心地よさ。あの音によって爽快な季節感が生まれるからだろう。  明治の初年、日本に登場して以来、長らく庶民的な飲み物として人気を集めていたが、戦後になってコーラ、ジュースなど飲料が多彩になり、めっきり影が薄くなった。とはいえ絶滅したわけでなく、小さな盛衰を繰り返しながら生き残り、最近では日本食ブームに乗って輸出されたりしている。  公園の茶店などにいると、ポン栓を抜く音が聞こえてきて、あっラムネだな、と懐かしく思う。確かにあれは「昭和の遠音」である。しかし「降る雪や明治は遠くなりにけり」(中村草田男)のような、失われたものへの感慨とは違う。簡単にいえば、失われかけながら、復活してくるものへの懐かしさなのだろう。われわれにとって昭和とは、そういう時代なのかも知れない。(恂) この句の作者は当初、誤って「高橋 淳」としてしまいました。正しくは「加藤 明男」でした。高橋さん、加藤さんにたいへんご迷惑をおかけしました。お詫びを申し上げ、訂正致します。(恂)

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人去りし殺生石に夏の月     藤野十三妹

人去りし殺生石に夏の月     藤野十三妹 『勉強会から』  殺生石(せっしょうせき)は栃木県那須温泉にある溶岩。鳥羽上皇の寵姫・玉藻前が実は九尾の狐で、軍勢に殺されて溶岩と化したもの、とされる。ところがこの岩、悪い気を放って人畜に危害を与えるため、玄翁という僧が杖で打ち砕くと三方に飛び散り、一つが那須の地に残ったのだという。  実際に硫化水素など有毒ガスを発生し、人体にも危険を及ぼす。松尾芭蕉はこれに興味を持ち、「奥の細道」の旅で、この地に立ち寄った。途中は「野を横に馬牽きむけよほととぎす」と詠んだりしていたが、現場の様子は凄かったらしい。「蜂蝶のたぐひ真砂の見えぬほど重なり死す」と書いている。  現在は観光地として人気があり、大勢の人が訪れる。しかし夕方になると人々が次々に去り、夏の月が溶岩を照らしている、というのがこの句。原句の上五は「人絶えし」で、それでもなかなかの雰囲気を出しているのだが、勉強会で「それだと最近は観光客が来なくなった」という感じがする、という指摘があった。言われてみればその通り。さっそく「人去りし」と直して、すっきりした感じになった。(恂)

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木立にも蕎麦待つ席や蚊遣香   大平 睦子

木立にも蕎麦待つ席や蚊遣香   大平 睦子 『勉強会から』  元の句は「木立にも蕎麦を待つ席蚊取り線香」だった。とても感じのいい句である。どこかで見たような句ではなく、自分が発見した情景を詠んだところがいい。俳句に必須の即興の精神を発揮している。しかし如何せん、5・7・7で字余りが気になる。また「にも」「を」と重なり、少しうるさい。さてどうしたらいいか、皆で考えた。  「蚊取線香」を「蚊遣香」と言い換えたらどうか。そうすると字余りが解消され、形が整いリズム感が生まれる。そんな議論があって上掲の句になった。「蚊遣香なんて古くさい」と思う人もいた。それならば「木立にも蕎麦待つ席の蚊遣かな」でもいいなという提案がなされた。これもなかなかである。  客の注文を受けて蕎麦を打つ。それを売り物にしている評判の店だ。時分時には行列ができる。店の脇の植え込みにまで床几が置かれ、客は呼び込まれるのをおとなしく待っている。蚊の攻勢は激しい。頼りない蚊遣りに頼るより仕方がない。しかしそうして待つのもなんとなく浮世離れしていて愉しい。(水)

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サマータイム家で眺める夏の月   山田 明美

サマータイム家で眺める夏の月   山田 明美 『この一句』  「サマータイム」と「夏の月」ではもろに季重なりではないかと文句を言う人が出るに違いない。しかし私は句会でこの句にあえて一票投じた。なんとも中途半端な作者の気分が実にうまく表されていると思ったからである。  大津波による福島原発事故以来、各地の原発が運転休止に追い込まれ、電力不足が深刻になっている。節電を呼びかけられた企業はサマータイムを導入、「就業時間は午前8時から午後4時」などという会社もある。  しかし午後4時に「さあお帰りなさい」と言われたってどうしようもない。仕事の相手先には平常通りの勤務形態のところも多く、さっさと帰りにくい事情もある。しかし4時を過ぎるとエアコンも明かりも消されてしまう。「居残り」はいちいち上司の許可を得なくてはならない。それも面倒だから帰る事にする。けれど一年中で最も日が長い季節、寄り道しながら帰るとようやく月が出た。まさに「家で眺める夏の月」である。滑稽句というものは作為を弄さず、こういう無意識のうちに生まれたものが一番だとつくづく思う。(水)

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千年の宇陀の水番磨崖仏   澤井 二堂

千年の宇陀の水番磨崖仏   澤井 二堂 『季のことば』  「水番」とは、夏の渇水期に干涸らびた田んぼに水を引こうと自分勝手に水門を開いたり、堰を壊したりする不届き者の出ないよう、徹夜で番をすること(人)である。とにかく「我田引水」という熟語があるほど、夏の田には水が必須のものであった。心細くちょろちょろ流れる水を皆で公平に使わなくてはいけない。水番にはこの捌き手としての重要な役目もあった。  室生寺の近く、奈良県宇陀市の大野寺磨崖仏は宇陀川に面してそそり立つ崖に掘られた高さ12mの弥勒菩薩。これを「水番」としたところがなんともおかしい。この川は近隣の田畑を潤し続け、ある年は豊かな恵みをもたらし、干ばつの年には我が田に水を引こうとする村人たちで殺気立つこともあっただろう。磨崖仏は千年もそれを見守って来た。今や潅漑用ダムや用水路が整備され、水争いなど生じない。むしろ気候が荒っぽくなった昨今は、鉄砲水や土石流を引き起こす集中豪雨の方が問題だ。水番磨崖仏の役目も時代とともに変わる。(水)

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遠ざかりまた近づきぬ滝の音   大下 綾子

遠ざかりまた近づきぬ滝の音   大下 綾子 『合評会から』(伊賀名張宇陀吟行) 明男 赤目四十八滝は実際は二十四しか無いそうですが、ひとつの滝を通り過ぎるとすぐ次の滝が見えてくる。あの渓谷を歩いた時の涼風と景色が改めて思い出されます。 春陽子 「遠ざかり」と先に持ってきたところが素晴らしい。今見た滝の余韻を残し、次に出会う滝の期待が伝わってきます。滝巡りの感じ、山全体の空気まで感じられます。 正裕 次から次と大小さまざまな滝に出会った。ひとつ近づけば水音高く、離れれば微かに。そしてまた次の滝音が近づいてくる。そんな感じが見事に表現されています。            ☆  梅雨の晴れ間、伊賀上野から名張の赤目四十八滝に行った。河鹿(カジカ)が鳴き交わし、川ムツという小魚が素早く走る澄み切った滝川沿いの散策は、都会の塵埃にまみれた一行十六人を十二分に癒してくれた。(水)

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廃坑の煙突高し夏の月           大倉悌志郎

廃坑の煙突高し夏の月           大倉悌志郎 『この一句』  作者は先年、東京・目黒区美術館の「文化資源としての炭鉱展」で見た絵がずっと忘れられなかったという。描いた人は山本作兵衛(一八九二-一九八四年)。七歳から筑豊・田川の炭鉱で働き、六十三歳まで採炭夫などをしていた。六十歳代半ばから記憶を頼りに炭鉱労働の様子を詳細に描くようになる。  「寝掘りの様子など、すごいですよ」と作者は語っていた。男性はふんどし一つ、女性は腰巻一枚。立つことの出来ない狭い坑内で、男性が石炭を掘り、後ろの女性がそれを集めていく。ともに寝ながらの作業である。そのような作品の七百点近くが先月、世界記憶遺産に登録されることに決まった。日本で初めての認定である。作者は「おっ、あの絵だな」と嬉しくなった。  六月句会の兼題の一つが「夏の月」。すぐに廃坑の現状が頭に浮かび、上掲の句が出来上がった。句会でこの句を見て、「炭坑節」を思った人が多かったようだ。「あんまり煙突が高いので、さぞやお月さん煙たかろ」。作者は「もちろん、あの歌詞が下敷きです」と言っていた。「炭坑節」の煙突は、作兵衛が働いていた田川炭鉱のもので、現在も同地の公園内に立っているという。(恂)

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守宮ゐてそのほかもゐて古家かな      広上 正市

守宮ゐてそのほかもゐて古家かな      広上 正市 『この一句』  守宮は「やもり」と読む。実は句会で、この文字が読めなかったので選ばなかった、という人がいた。難しい漢字には振り仮名をつけるべし、と私(筆者)などは思っているが、俳句をやるからには難しい字も読めなくては、と言う人もいる。やもりには「家守」、それに「壁虎」というすごい表記もあり、どうせなら平仮名の方がいいかも知れないし……。守宮君自身はどう考えているのだろう。  それはさて置き、これはいい句だと思う。郊外か田舎の古家なのだろう。守宮が住み着いていて、夏の夜には天井や壁に張り付いていたりする。長さは十造らいか。爬虫類独特の不気味さもあるが、可愛らしくもある。家を守ってくれるというのだから、有難い存在ともいえよう。  しかしこの家には、「そのほか」も同居している。守宮はまあいいとして、ねずみ、むかで、ごきぶり、などなどがいる、ということが分かる。この句を選んだ人たちはみな「そのほかもゐて」という表現を賞賛していたが、最後の評者(昭生さん)はこう語った。「お年寄りの住まいなのだろう。“そのほか”には老夫婦も含まれているのではないか」。句だけでなく、感想にも参った。(恂)

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どくだみや恐竜の息の匂ひして       高瀬 大虫

どくだみや恐竜の息の匂ひして       高瀬 大虫 『この一句』  カバの口臭は非常に強いという。おそらくワニもそうだろう。すると恐竜も、と考えられるが、何と「どくだみ」の匂いだったとは。カバやワニには川や沼の臭いがしみついているのだとすれば、陸上恐竜の口内にドクダミの匂いが籠っていてもおかしくない。その匂いが炎のごとく発せられるとなると、これは怖い。いかにも恐竜にふさわしいく、不気味さも加わった匂いである。  恐竜は古代生物の中で、最も人々(特に少年たち)に親しまれている存在と言えよう。恐竜展は夏休みの恒例事業だし、図鑑の類も続々と出版される。それでいて恐竜にはまだ不明な点が多いのだという。皮膚の色がその一つで、図鑑などにある茶色や暗緑色などはあくまでも想像の産物なのだ。  息の匂いももちろん不明である。それをこの句は「どくだみの匂い」と言い切った。「ごとく」や「やうに」などを用いていないところが効果的だ。どくだみは薬草でもある。嫌な匂いではあるが、「臭い」とは書きたくない。本欄もカバやワニの「臭い」に対して、ドクダミや恐竜は「匂い」と書き分けた。昔の恐竜少年の、恐竜へのフレンドシップによるものである。(恂)

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