水吸ふて厄日の砥石深き色    嵐田 双歩

水吸ふて厄日の砥石深き色    嵐田 双歩

『合評会から』

てる夫 厄日でいろいろな道具を手入れする句が多く出ています。その中でも、この「砥石」が「水吸ふて」がいいなと思っていただきました。
迷哲 鎌を研いだり、風よけを作ったり・・・厄日はそういう日なのだなあと思いました。よく厄日を捉えているなと思いました。
          *       *       *
 「厄日」は「二百十日」。風水害により農業や生活に大きな災厄がもたらされる時期であり、災厄に対し備えをすることや、神仏にその安穏を祈ることを本意とする季語である。鎌や鍬をとりあげたり、大工仕事をとりあげる句が多かった中で、この句は「厄日」に対し道具ではなく「砥石」を配している。読者は当然ながら砥石で何を研ぐのだろうかと考えさせられる。さらに「水吸ふて」、「深き色」などの措辞は、水害のイメージや、その影響の重さを想起させる。周到に組み立てられたミステリーを読むような、味わいのある句である。
 地球環境の変化によるものか、年を追って風水害がひどくなりつつある。厄日の少しでも平穏であることを祈らざるを得ない。
(可 20.09.25.)

串団子二と三に分け居待月    野田 冷峰

串団子二と三に分け居待月    野田 冷峰

『季のことば』

 居待月とは仲秋の名月(十五夜)の三日後、旧暦八月十八日の月のことである。十五夜の次の夜は「十六夜」。十五夜は日没後間もなく上って来るが、それより三十分近く遅く、ためらうように上ってくるので「いざよい」と呼ばれる。次の晩はさらに三十分ほど遅れて出て来るので「立って待っている」立待月。その翌日が十八夜の「居待月」。十五夜に比べると1時間半も遅いから、立って待つには草臥れるというわけだ、
 令和2年は旧暦と現代の暦とのずれが大きく、仲秋の名月がなんと十月一日にずれ込んだ。従って居待月は十月四日ということになる。ということからすると、この句は一月早い居待月を見ての詠かも知れない。兎に角居待月の出るのは七時の頃合いで、あたりはもう真っ暗、筆者などはだいぶ出来上がっている。
 この句は居待月の情感を実によく捉えており、選句表で見た時に思わず「うまいなあ」と唸った。後から作者名が知らされて、いかにも愛妻家の句らしいなあと感じ入った。生前の愛妻と居待月を愛でつつ月見団子を分け合った思い出の句であろう。一串五個の団子を二個と三個に分け合って食べたのだろうか。いや、これは二人ともまだ若い頃のことで、「あなた三本、私二本」ということだったのであろうか。
(水 20.09.24.)

大厄日小川大河に様変わり    池内 的中

大厄日小川大河に様変わり    池内 的中

『季のことば』

 きょう日の「厄日」といえば、自身にちょっと不運な事故が起きたりミスを連発したりした時に発する常套句――「ああ、きょうは厄日だ」。季語の上では時候の項目。二百十日の台風は農家にとって大厄だ。昔から台風の襲来は、一年の稲作の努力を無にしかねない鬼門だからこの頃が厄日となったという。近年はことに風水害が多い。一昨年の広島地滑り、去年の千曲川氾濫などいくつも指を折ることができる。風害だって房総大被害は去年の事である。
 農家ならぬ筆者ら俳句仲間。今月の番町喜楽会の兼題「厄日」はもっぱら二百十日の天文を詠んだ句が多かった。この句も台風禍の光景を詠んでいる。作者の住む身近に小川が流れているのだろうか。突然のゲリラ豪雨が、ほんの数キロ四方の地域に襲い掛かる気象がいま日常茶飯となっている。あれよと言う間に小川がまるで大きな川になったようだというのは、よくあることだ。しかしいくら何でも「大河」はなかろうという声も出そうだが、そこが俳味だと思う。あえて大河と大げさに言ったのがこの句のミソだ。平易に「厄日」を詠んで、そりゃそうだと納得する。
(葉 20.09.23)

星とんで熊除けの鈴響きをり  池村 実千代

星とんで熊除けの鈴響きをり  池村 実千代

『この一句』

 山道や高原を歩く人たちは鈴や音を立てる金具を腰に下げたり、携帯ラジオを鳴らしたりしている。「熊除け」である。本州に棲むツキノワグマは好んで人間を襲ったりはしない。出会い頭にぶつかって驚いた時や、獲物を追っている最中や、これから餌場に向かう途中などで遭遇すると、怒って襲いかかってくるのだという。だから予め遠くから「ここに人間がいるよ」と知らせてやるのだ。
 とにかく、熊除けの鈴の響きが聞こえて来るということだから、人里離れた場所にいるのであろう。初秋の山荘かも知れない。ちょうど星を見るのに良い時分だ。都会の夜は明るすぎて、空は汚れっぱなしだから、星なぞ金星と火星くらいしか見えない。しかし、山荘のバルコニーから仰ぐ夜空は、これが同じ日本の空かと思うばかりの美しさだ。澄み渡り、天の川もはっきり見える。流れ星もすーいと飛んでは、「あらまたお願い唱えるの忘れてしまった」なんて呟いていると、また別の方角にすーっと飛ぶ。
 もうそろそろ山荘を閉じる頃合いである。「あーこれで今年の夏休みも終わり。明日はまたコロナの東京に戻るのね。もう一つ流れ星待ちましょう。今度こそ『コロナ封じ』を祈るのよ」と決めて、見上げる。
(水 20.09.22.)

枝豆も出さぬ店とは縁を切り   塩田 命水

枝豆も出さぬ店とは縁を切り   塩田 命水

『季のことば』

 「枝豆」は秋の季語。まだ熟していない青い大豆を枝も莢も付いたまま塩茹でして、笊や皿に盛って出す。お月見に供えることもあるので「月見豆」ともいう。枝付きだから枝豆なのだが、莢だけで出てくることがほとんどだ。居酒屋などでは、冷奴(夏の季語)と並び〝とりあえずビール〟と共に手軽なつまみとして注文することが多い。最近は行く機会がなくなったが、ビアガーデンでは枝豆と焼鳥以外、頼んだことがないような気がする。冬でも電子レンジでチンした暖かな冷凍枝豆が付きだしで出て来たりするが、これはこれで意外に旨い。
 とまあ、枝豆について飲み屋に限定した話を展開したが、掲句はお酒中心の飲食店が舞台だと思えるからだ。何しろ作者は怒っている。枝豆が食べたいのに注文したら、ない、と言われむくれているのか、枝豆すら供しようとしない店の態度に憤慨しているのか、十七音からは読み取れない。とはいえ、筆者も何となく同調する。そうだそうだ、そんな店はこっちから願い下げだい、と。
 歳を取ると、詳しくは知らないけれど、前頭葉がなんとか、海馬がどうとかで、こらえ性がなくなるらしい。思い当たる節は多々ある。ちょっと糸がもつれると、すぐに「ええい、もう」、とほぐす努力を省いてぶち切ってしまいたくなる。どういう状況で、どんな事情があったのか、機会があったら作者に聞いてみたい。枝豆でも食べながら。
(双 20.09.21.)

夜這星岬で追った夢どこへ   荻野 雅史

夜這星岬で追った夢どこへ   荻野 雅史

『この一句』

 同じ句会に「青年はみなストーカー夜這星 青水」というストレートな言い方の句もあった。「夜這い」という言葉が平気で語られていたのはいつ頃までのことだったろう。半世紀前、昭和四十年代くらいまでか。粗野で卑猥な響きもあるが、一方極めて開けっぴろげで人間的、健康的でもあったのだ。
 しかし、実際のところは、昭和三、四十年代の都会の青年男女はうぶなもので、互いに思いを寄せながら、手を握り合うまでにえらく時間がかかるといった塩梅だった。だから大学のサークル活動か何かで海山に合宿に出かけ、夜になって女子のバンガローに夜討ちを掛けよう、夜這いだ、などと威勢のいいことを言い合いながら出発しても、いざ近くに来ると進めなくなって、「わあーっ」と蛮声を張り上げただけで引き上げるなんていうありさまである。
 現在のように、交際を大して深めもせずに、あっさり男女の仲になってしまって「しょうがない結婚」したり、十代のシングルマザー続出なんてことは考えられもしなかった。
 この句も、頭に「夜這星」を据えているから、「追った夢」も恐らく恋の雰囲気を帯びたものに違いない。うぶだった自分を懐かしんでいるのだろう。そして、中高年のペーソスも漂ってくる。
(水 20.09.20.)

露光る解体を待つ木馬たち    岡田 鷹洋

露光る解体を待つ木馬たち    岡田 鷹洋

『この一句』

 一読し「木馬が解体される? どこの? どうして?」と考えた人がいたかもしれない。これは、今年の九月ならではの俳句、つまり時事句なのだ。この句を採った人は「一世紀の歴史に幕を閉じた『としまえん』でしょうか。露は子供たちの涙かなあ」(てる夫)、「先日閉園した遊園地のエルドラドのことでしょうか。惜別の気持ちを込めて」(ゆり)、「豊島園がまず浮かんできました。解体と露に、はかなさを感じます」(道子)というように、舞台も解釈もおおむね一致していた。
 豊島園の回転木馬は、機械仕掛けの芸術的な乗り物として「機械遺産」に認定された、世界的にも貴重なもの。1907年にドイツで誕生し、第一次世界大戦を避ける狙いから1911年に米国に渡って半世紀以上活躍、1969年に来日し、71年から50年近く豊島園で子供たちを喜ばせ続けてきた。
 「エルドラドの将来は未定」とされるが、美しく彩られた24体の木馬が子供たちを乗せ、元気よく走っている光景をまた見たい。そこには笑顔と歓声が渦巻いているはずだ。
(光 20.09.18.)

海風の抜ける道なり青蜜柑     須藤 光迷

海風の抜ける道なり青蜜柑     須藤 光迷

『合評会から』(番町喜楽会)

てる夫 なんと爽やかな句なんでしょう。「青蜜柑」が特にいいですね。
水牛 いいですねぇ。海風が吹き抜けてくるんでしょうね。ミカン畑はだいたい海から山に向かって登りになっている。そこを「青蜜柑」の香りですからね、爽やかさが伝わってくる。
満智 風と蜜柑の組み合わせがとても爽やかで頂きました。海と蜜柑の香りを感じます。
水馬 海を見下ろす段々畑の蜜柑園がイメージできます。和歌山のあたりとか四国・九州とか。
          *       *       *
 ミカンの生産量はピーク時から大きく減ったとはいえ、今でも70万トンを超え、リンゴとともに日本の果物の両横綱だ。江戸時代に鹿児島で栽培が始まったミカンは、九州、四国、紀伊半島と産地を広げ、関東にまで及んでいる。日当たりと水はけのよい土地を好むため、山や半島の斜面で栽培されることが多い。
 掲句も海に向かって開けたミカン畑を詠む。皆さんの選評にあるように、海風と青蜜柑のイメージが重なり合い、爽やかさを増幅している。さらに「抜ける道なり」という断定調の表現から、海風の道に寄せる作者の深い愛着が感じられる。作者の弁によれば、句会の吟行で行ったことのある神奈川県二宮町のミカン畑という。二宮から熱海にかけては斜面にミカン畑が広がり、東海道線の車窓からも望める。今まさに青蜜柑の季節。場所を知って再読すると、趣が一段と深まる。
(迷 20.09.17.)

雲ひとつ無くてぎらぎら地蔵盆  大澤 水牛

雲ひとつ無くてぎらぎら地蔵盆   大澤 水牛

『この一句』

「地蔵盆」は毎年八月二十三日、二十四日に行われる行事である。京都や大阪では、どこの町にも村にも辻地蔵があり、盛んに行われていた行事である。地蔵は子供を守る菩薩ということから、この祭りの主役は子供たちである。筆者の大阪の生家では、近所の地蔵堂の前にテントが張られ、町内の子供一人一人の名前入りの提灯が吊るされた。子供たちは提灯に火の入る夜になってもその下で遊ぶことを許され、地蔵に供えられたお菓子や西瓜がふんだんに振る舞われた。幼い頃には地蔵盆が近くなるとワクワクした気分になり、まさに夏休み最後の最大のイベントだった。
 その「地蔵盆」を季語とした句が、あまり地蔵盆の風習のない関東の番町喜楽会に登場したので驚いた。また、その作者が生粋の関東人である水牛氏と判明し、二重に驚いた。作者の自句自解によれば、横浜に住む作者の町内に関西から移住してきた人が、町会役員となって地蔵盆を始めたらしい。しかし、最近は少子化のために年寄りばかりの集まりになってしまったとのこと。雲ひとつない炎天下での行事は、お年寄りにはさぞきつかったことだろう。
 筆者も関東の暮らしが長くなってしまい、最近の関西の事情を知らないが、少子化傾向には西も東もなく、本場の地蔵盆も以前に比べるとずいぶん廃れているのではないかと、ふと思った。
(可 20.09.16.)

寝そびれて開け放つ窓夜這星   横井 定利

寝そびれて開け放つ窓夜這星   横井 定利

『この一句』

 流星というものは出ないか出ないかと夜空を見回していても一向に現れない。それがたまたま雨戸を閉めようかと夜空を見上げた時にふっと見えたりする。そんな感じをよく伝えてくれる句である。
 「寝そびれる」は「寝はぐれる」とも言うが、何か気になることや興奮することがあって、あれこれ物思いに耽ったりしているうちに目が冴えてしまい、眠ろうとしても眠れなくなってしまうことである。年をとるにつれて寝そびれることが多くなる。
 そうなったらしょうがない。この作者のように思い切って起き出して、夜空を眺めながらぼんやりするのも一法だ。秘蔵のコニャックなどをちびりちびりやるのもいい。ビールや水割りなど、アルコール度数の低い酒はいけない。ついつい飲み過ぎてしまうからだ。そうすると再度眠りについた途端、今度は尿意によって目を覚まし、何のための寝酒だか分からなくなる。
 ブランデーグラスをゆっくり回しながら、香りを楽しみ、来し方をあれこれ思い出す。こうなると、寝そびれたのも悪くない。窓を斜めに流れ星がスーッと過ぎる。「もうさしたる願い事も無いなあ」なんて呟いているうちに眠気が湧いてくる。(水)