少女らの素足のびやか夏の川  山口 斗詩子

少女らの素足のびやか夏の川  山口 斗詩子

『合評会から』(番町喜楽会)

白山 素晴らしい足だったのだろうと思います。
幻水 今の子供たちは昔と違い足長で、すらっとした足をしている。特に女の子にそれが言える。観察のこまやかさと、のびやかな素足と夏の川という、取り合わせの良さに一票。
光迷 「素足のびやか」がいいですね。いまの青少年は手足がすらっとしていて、羨ましい限り。体操やフィギュアスケートの選手が一例でしょうが、昭和世代のずんぐりむっくりとは大違い。
作者 子供たちがズボンやスカートをめくり素足をにょきっと出して川ではしゃぐ様子は、自分の子供の頃の記憶も(あんなに綺麗でのびやかだったんだなあと)呼び覚まされ、つい微笑んでしまいます。
          *       *       *
 少女らが夏川にじゃぶじゃぶと踏み込んで行く様子を描き、まるで自分も一緒になって、その気持ち良さを味わっているように思えてくる句だ。作者はお気の毒にこのところ足腰に不調を抱え、ご不自由なさっていらっしゃるとのことだが、上記の「自句自解」からもわかるように、明るさを失っていない。こういうのびのびとした気分の句が出て来るのを見ると、こちらもすっかり嬉しくなる。
(水 24.06.20.)

十薬や漬物石の捨て置かれ    星川 水兎

十薬や漬物石の捨て置かれ    星川 水兎

『季のことば』

 十薬がドクダミの事だとは知識としては知っていたが、俳句を始める前はあくまでも「毒だみ」というおどろおどろしい名前で認識していた。毒があるわけではなく、干して乾燥し煎じたものは、食あたりや胃腸病に効き利尿作用もあるという。また、外用薬として腫物など皮膚病にも有用とされる。日当たりの悪いジメジメした場所を好み、繁殖力が強く、地表部を摘んでも地下茎が残っていればどんどん増える。匂いが独特で嫌われる要因となっているが、葉を潰したり引き抜いたりしない限り、生えているだけでは鼻を近づけてもさして異臭はしない。6月のこの時期は、白い十文字の愛らしい花(正確には苞という葉の一種)をつける。
 その日の句会で、兼題の十薬に29の出句があった。そのほとんどが「十薬の日陰ひそかに独り占め(迷哲)」や「十薬の慎ましやかに庭の隅(幻水)」などの一物仕立ての句が多かった。
 掲句はその中で数少ない取り合わせの句で、十薬と漬物石(それも「捨て置かれた」)が、付かず離れず微妙に響き合っている。「捨てられた」であれば主がいない廃屋も考えられるが、「捨て置かれた」の措辞からは、単に出番がないので置きっぱなしになっている程度だと覗える。その石の周りには十薬が結構生えているのだろう。とはいえ、住人が庭の手入れをサボっているのではない。私もそうだが、花が咲いてる間は妙に抜くのを躊躇らわれるのだ。
(双 24.06.18.)

十薬や初転勤の一軒家      田中 白山

十薬や初転勤の一軒家      田中 白山

『合評会から』(番町喜楽会)

的中 父親が転勤族だったので、引越し翌朝の雰囲気をリアルに思い出します。初転勤の社宅がとても古く、庭も手入れがされていない。そこに十薬が咲き誇っている。自分の経験に重なって、この句を採りました。
水馬 私の場合は転勤ではありませんでしたが、鹿児島県庁に入庁し、結婚して入った官舎のぼろさ加減を見てカミさんに泣かれたことを思い出しました。
百子 新しい土地での勤務と十薬、なんだか妙に合っていますね。
木葉 初転勤の住まいが古い一軒家。十薬が咲くとその思い出がよみがえる。
作者 自分の俳句は説明してはいけないと、俳句を始めた時に先生からきつく言われていましたので「自句自解」はやめときます。
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 こういう句を見せられれば誰だってその時の事情やいきさつを聞きたいと思う。こういう時こそ「自句自解」が欲しいのだが、作者は、「一旦投句した後はくだくだしい説明は不必要」というストイックな姿勢を貫く。わずか十七音字の俳句は言い足りないことがたくさんある。芭蕉ですら長い前書や俳文を連ねて一句したためている。たとえば「ものいへば唇寒し秋の風」という句などは教訓めいていて、これが俳聖と言われる人の句かと呆れるような駄句だが、これも「『ものいはでただ花をみる友もがな』(余計なことは言わずにただじっと花を見る友がほしいものよ)といふは何某鶴亀が句なり、わが草庵の座右にかきつけることをおもひいでて」という自句自解文があって初めて「ああそうだなあ」と納得できる。
(水 24.06.16.)

天秤の揺れに任せて金魚売り   野田 冷峰

天秤の揺れに任せて金魚売り   野田 冷峰

『季のことば』

 季語は「金魚売」である。角川俳句大歳時記によれば、金魚を入れた浅い桶を天秤棒で担ぎ、「金魚えー、金魚」と声を引いて売り歩く姿は、江戸中期以降の夏の風物詩であった。令和の今はまず見かけないが、金魚のふれ売りは明治以降、昭和まで続いたようだ。昭和40年代までは全国で千人以上の金魚売り師がいたという記事もある(2015年・週刊ポスト)。
 50代以上には、幼い頃に金魚売を見たという人が結構いるのではないか。句会では「昔見た景です」(二堂)、「子どもの頃、おじさんがリヤカーを引いて売りに来てました」(朗)など、昔を思い出して採った人が多かった。
 掲句が金魚売を彷彿とさせるのは、中七の「揺れに任せて」の働きにある。天秤に振り分けた桶は歩みにつれて上下左右に揺れる。上手く受け流さないと、大きく弾んで水と金魚が飛び出してしまう。揺れに逆らわず、ゆったりと声を引きながら売り歩く姿が、中七から浮かんでくる。
 江戸時代は季節ごとにいろんな種類の商品を、行商人が担いで売り歩いた。夏の季語となっているものだけでも、金魚売のほか蛍売、風鈴売、水売、蚊帳売などたくさんある。江戸市民は行商のふれ声で季節の変化を知り、暮らしを営み、風情を楽しんだ。いずれも今では失われてしまったが、作者は記憶の中の光景を五七五に詠みとめ、ノスタルジーを形にして共感を得た。
(迷 24.06.14.)

明易の夫婦は寡黙散歩道    高井 百子

明易の夫婦は寡黙散歩道    高井 百子

『季のことば』

 年寄り夫婦の目覚めは早い。ことに梅雨入り前の6月初め頃の晴れた日は午前4時頃にはもうぼーっと明るくなる。日課の早朝散歩にも精が出る。こうした場面では断然、妻が主導権を握る。「さあ行きましょう」と無精を極め込む亭主を急き立てる。
 この句は年寄りの多い番町喜楽会の6月例会で人気を呼んだ句だが、「早朝にご夫妻でウォーキングをされているのでしょう。散策でなく、ただ淡々と日課をこなしている感じで、寡黙という言葉が上手いと思いました」(愉里)、「私も朝早く歩いていますが夫婦二人連れはどういうわけか寡黙です」(白山)といった句評が寄せられた。そうなのだ、二人とも黙って歩いているのだ。
 作者によると、「早朝散歩で目にする夫婦が二人ともいつも不機嫌そうで、ウオーキングがただの義務みたいなので」句にしたという。むっつり押し黙ったままひたすら歩むとは、端から見ればむしろ滑稽な感じに映る。
 しかし、これが当然とも言える。二人とも喧嘩しているわけではなく、何か不満があるわけでもない。長年連れ添った夫婦、もう話すこともあまり無い。話さなくとも相手が何を考えているのか大概分かる。自ずから「寡黙な散歩」となるのだ。
(水 24.06.12.)

時の日や光年といふ時間軸    徳永 木葉

時の日や光年といふ時間軸    徳永 木葉

『この一句』

 時の日、すなわち、時の記念日は六月十日である。その昔、天智天皇がはじめて「漏刻」を作った日とされている。「漏刻」は、『日本書紀』には「漏剋」と記されていて、水時計のことである。まるで階段のような仕掛けの上から水を落として行き、水の流量が一定であることから時を測ったらしい。『日本書紀』には、漏刻に関する記述は二か所あり、斉明天皇の時代に、のちに天智天皇となる中大兄皇子が漏刻を作ったという記述もある。本来ならこの日が時の記念日となってよさそうなものだが、この最初の漏刻の記述には日付がないため、日付のはっきりしている天智天皇時代の記述を元に時の記念日が決められたらしい。
 ところで、時の記念日と言えば、何時何分という人間の活動にまつわる時間のことを指しているのに、この句はそこに「光年」というわけのわからないものをぶつけている。ネットに拠れば、光年は、銀河や恒星までの距離など、キロメートルで表せばそれこそ「天文学的数字」となるものを表すための指標で、「年」という文字が使われているが、時間の単位ではないと説明されている。
 この句は、「時の日」と、壮大なスケールの「光年」を取合せることにより、読む者に、果てしない宇宙の中の存在としての自分や、とてつもなく長い歴史の現在にいる自分を思わせ、さまざまな想像や郷愁を喚起してくれる。「時間軸」の五音がとても効果的である。
(可 24.06.10.)

葉桜や上野は緑の風を呼び    澤井 二堂

葉桜や上野は緑の風を呼び    澤井 二堂

『合評会から』(日経俳句会)

てる夫 花が終わった後の上野公園はまさに緑の風が、見てますね。
浩志 隅田川を舞台にした句がほかに二つあって一緒ですが、葉桜は葉桜で良いですね。
反平 葉桜の下を通って美術館へ。
二堂(作者)上野は桜だけじゃあありませんよ。葉桜も良いですよ。
誰か さすが、地元上野の住人!
          *       *       *
 コロナ禍の規制が解けて4年ぶり自由に花見ができた今年。日本の桜の見事さをSNSなどで知った訪日外国人を惹きつけ、地方の隠れた名所にまで押し寄せる事態となった。ことに手近な上野公園内は外国人の顔、顔、顔でうずまった。それも花が散ったあとは潮を引くように少なくなった。
 当然といえばそうだが、ときには葉桜を愛でる日本人夫婦が散策する姿が見られる。花の命の儚さを葉桜に重ねる心情は我々日本人固有のものだろう。濃緑の装いをした桜樹の佇まいも捨てがたいし、そこを抜ける初夏の風はなにより心地よい。谷根千をテリトリーにする作者。上野の山が風を呼び、そこから吹きおろす風はまさに緑の匂いをかぐ思い。地元人ならではの爽やかな句だ。
(葉 24.06.08.)

身支度に今年初めて扇子入れ   向井 愉里

身支度に今年初めて扇子入れ   向井 愉里

『季のことば』

 「扇子」は言うまでもなく夏の季語だが、近頃はエアコンが行き渡り、電車も空調完備となって出番が極めて少なくなった。今では「扇子」と聞いてすぐに思い浮かぶのは将棋や囲碁の対局か、落語の一席である。落語では扇子と手拭いが重要な小道具になる。特に扇子はキセルになったり、箸になったり、時には杖や刀や六尺棒になったりする。囲碁将棋の大一番では対局者が扇子を片手に煽ぎ、時には握りしめ、閉じたり開いたりする。こうして間合いをとったり、集中したりするのだろう。
 普段の暮らしの場面では出番の少なくなった扇子だが、ご婦人方のお出かけの際の小道具として命脈を保っている。私は東横線電車で東京に出るのだが、この沿線には昔ながらの優雅な暮らしの階層が残っており、そうしたオバさまオバアさまとしばしば相席になる。するとほのかな良い香りが送られてくる。
 この句はさしづめそうしたオバさまのお出かけ前の情景であろう。テレビ、ラジオは盛んに熱中症に注意と喚きたてている。そうそう、扇子も入れましょうと思い立った。どれにしようかなと選びあぐねて、結局は最初に掴んだ扇子をバッグに入れている。
 「今年初めて」というところが、急に気温の上がる5月末から6月初めをうまく言い当てている。
(水 24.06.06.)

くろもじの先を葛餅逃げ回る   岡松 卓也

くろもじの先を葛餅逃げ回る   岡松 卓也

『この一句』

 一読して、葛餅をうまく切れずに悪戦苦闘する人物が浮かんできて、笑いながら点を入れた。句は上五に「くろもじ」を持ってきて、まず何だろうと思わせる。クロモジはクスノキ科の香木で、古くから薬や香水の原料となり、小さく割り削ったものが楊枝として使われてきた。木肌を残して削られた黒文字楊枝は弾力性に富み、爽やかな香りがする。老舗の和菓子屋や茶会の席では、黒文字楊枝が添えられている。
 その黒文字の先で、葛餅が「逃げ回る」というのである。爪楊枝に比べ黒文字はやや大ぶりで、刃先も鋭い。葛餅も楽に切り取れそうだが、なぜか楊枝の刃先を逃れて、掴まらない。「逃げ回る」の擬人化表現には、句会で「作りごとめいている」との指摘もあった。その一方で、「本物の葛餅は掴みにくく、逃げ回るのフレーズが軽妙」(木葉)と、そこに面白みを感じた人も多く、葛餅の兼題句で最高点を得た。
 違いを生んだのは、関西風と関東風のどちらの葛餅をイメージしたかによるのではないか。本葛を練り上げた関西の葛餅は、半透明で弾力があり、プルプルしている。これに対し、小麦粉の澱粉を発酵させて作る関東風は、透明感はなく食感も硬い。関西の葛餅なら黒文字の楊枝を跳ね返し、つるんと皿の上を滑って逃げても不思議ではない。
 作者は日経の大阪本社に長く勤務し、奈良支局長を務めたこともある。本場の吉野葛餅もよく食べたであろう。掲句は大げさな表現に見えて、意外に実体験、実感の句かも知れない。
(迷 24.06.04.)

「みんなの俳句」来訪者が22万人を超えました

「みんなの俳句」来訪者が22万人を超えました
 俳句振興NPO法人双牛舎が2008年(平成20年)1月1日に発信開始したブログ「みんなの俳句」への累計来訪者が、2024年(令和6年)6月2日に22万人を越えました。この盛況は一重にご愛読下さる皆様のお蔭と深く感謝いたします。
 ブログ「みんなの俳句」はNPO双牛舎参加句会の日経俳句会、番町喜楽会、三四郎句会の会員諸兄姉の作品を取り上げ、「みんなの俳句委員会」の幹事8人がコメントを付して掲載しています。
 このブログのスタート当初は一日の来訪者が10人台でしたが、最近は一日平均70人になっています。発信開始後11年弱かかって累計来訪者10万人となり、それから5年後の昨年9月に20万人に到達、その8ヶ月後に22万人へと来訪者を増やしています。地味なブログですが注目して下さる方がじわじわと増えているようです。
 幹事一同、これからも力を尽くしてこのブログを盛り立てて参る所存です。どうぞ引き続きご愛読のほどお願いいたします。
     2024年(令和6年)6月3日 「みんなの俳句」幹事一同