母の裾ぎゅっとにぎりて秋日傘 山口斗詩子
母の裾ぎゅっとにぎりて秋日傘 山口斗詩子
『この一句』
一読、情景がありありと浮かんだ。日傘を差したお母さんの裾を、しっかり握っている幼い女の子、という図が。実はその光景にぴったりの絵画がある。小倉遊亀という日本画家の「径(こみち)」という作品だ。下手な説明をするより「小倉遊亀 径」で検索してもらった方が早いが、あえて言うと、日傘をさした白い服の母親の直ぐ後ろを、おかっぱ頭の女の子が、やはり日傘を差して歩いている。さらにその子の真後ろをやや首の長い柴犬のような毛並みの犬が付き従う、という母子と犬が横一列に並んだ構図の絵だ。一目、温かで気持が安らぐ愛に満ちた作品だ。明るく温かく楽しいもの。草にも木にも雲にも動物にも通じ合う愛の心、生きることの喜びを感じ合う健やかさ。そんな想いに満ちた世界を描きたかった、と小倉遊亀。実はこの絵、中国の龍門石窟の仏像を観た時の感懐を元に描かれたそうだ。
句会で迷哲さんが触れたように、モネの有名な絵画「散歩、日傘をさす女性」も脳裏によぎったが、モデルが日本人ということもあり「径」の方が親近感が湧く。西洋画と日本画の違いはあるが、いずれにしても、景が浮かぶというのは俳句表現における重要な要素の一つで、採る決め手でもあったりする。掲句は、選者それぞれが自分なりの映像を思い描いて、高く評価された。上記二つの絵画にはどちらも描かれてないが、「ぎゅっとにぎりて」がなんともリアルで愛らしい。
(双 24.09.18.)
『この一句』
一読、情景がありありと浮かんだ。日傘を差したお母さんの裾を、しっかり握っている幼い女の子、という図が。実はその光景にぴったりの絵画がある。小倉遊亀という日本画家の「径(こみち)」という作品だ。下手な説明をするより「小倉遊亀 径」で検索してもらった方が早いが、あえて言うと、日傘をさした白い服の母親の直ぐ後ろを、おかっぱ頭の女の子が、やはり日傘を差して歩いている。さらにその子の真後ろをやや首の長い柴犬のような毛並みの犬が付き従う、という母子と犬が横一列に並んだ構図の絵だ。一目、温かで気持が安らぐ愛に満ちた作品だ。明るく温かく楽しいもの。草にも木にも雲にも動物にも通じ合う愛の心、生きることの喜びを感じ合う健やかさ。そんな想いに満ちた世界を描きたかった、と小倉遊亀。実はこの絵、中国の龍門石窟の仏像を観た時の感懐を元に描かれたそうだ。
句会で迷哲さんが触れたように、モネの有名な絵画「散歩、日傘をさす女性」も脳裏によぎったが、モデルが日本人ということもあり「径」の方が親近感が湧く。西洋画と日本画の違いはあるが、いずれにしても、景が浮かぶというのは俳句表現における重要な要素の一つで、採る決め手でもあったりする。掲句は、選者それぞれが自分なりの映像を思い描いて、高く評価された。上記二つの絵画にはどちらも描かれてないが、「ぎゅっとにぎりて」がなんともリアルで愛らしい。
(双 24.09.18.)
残り物チャーハンにして厄日過ぐ 星川水兎
残り物チャーハンにして厄日過ぐ 星川水兎
『この一句』
厄日とは二百十日のことで、台風の襲来の多い9月1日ごろにあたる。今年は暦通りに台風10号が来て、一週間にわたって日本列島を迷走、各地に被害をもたらした。進路予報が気になって眠れぬ夜を過ごした人も多かったのではなかろうか。
大型台風はひとたび上陸すると、作物や家々をなぎ倒し、押し流す。その猛威の前に人間は無力であり、通り過ぎるのをじっと待つしかない。そんな台風の日、掲句の作者は何とチャーハンを作って軽やかにやり過ごしている。台風10号に振り回されただけに、掲句の明るさ、ユーモアに共感した人が多く、9月の番町喜楽会では二百十日の兼題句で最高点を得た。
台風で家に閉じ込められて買い物にも行けず、残り物で食事を作って過ごした経験は誰にでもある。それをチャーハンと具体的に詠んだところに、生活感と可笑しみがある。圧倒的な自然の力に、庶民の暮らしの象徴ともいえるチャーハンをぶつける。意表を突く取合せが軽妙さを生んでいる。
地球温暖化による海水温の上昇で、台風は年々巨大化している。最大風速67メートル以上のスーパー台風も、日本近海で発生している。気象庁の統計では日本列島に上陸した台風の数は8月と9月が最も多い。家の補強や非常食の用意も怠れないが、残り物のチャーハンで災厄をやり過ごす心の余裕を見習いたい。
(迷 24.09.16.)
『この一句』
厄日とは二百十日のことで、台風の襲来の多い9月1日ごろにあたる。今年は暦通りに台風10号が来て、一週間にわたって日本列島を迷走、各地に被害をもたらした。進路予報が気になって眠れぬ夜を過ごした人も多かったのではなかろうか。
大型台風はひとたび上陸すると、作物や家々をなぎ倒し、押し流す。その猛威の前に人間は無力であり、通り過ぎるのをじっと待つしかない。そんな台風の日、掲句の作者は何とチャーハンを作って軽やかにやり過ごしている。台風10号に振り回されただけに、掲句の明るさ、ユーモアに共感した人が多く、9月の番町喜楽会では二百十日の兼題句で最高点を得た。
台風で家に閉じ込められて買い物にも行けず、残り物で食事を作って過ごした経験は誰にでもある。それをチャーハンと具体的に詠んだところに、生活感と可笑しみがある。圧倒的な自然の力に、庶民の暮らしの象徴ともいえるチャーハンをぶつける。意表を突く取合せが軽妙さを生んでいる。
地球温暖化による海水温の上昇で、台風は年々巨大化している。最大風速67メートル以上のスーパー台風も、日本近海で発生している。気象庁の統計では日本列島に上陸した台風の数は8月と9月が最も多い。家の補強や非常食の用意も怠れないが、残り物のチャーハンで災厄をやり過ごす心の余裕を見習いたい。
(迷 24.09.16.)
稲光タワマン墓のごとく立ち 須藤 光迷
稲光タワマン墓のごとく立ち 須藤 光迷
『この一句』
一読して光景があざやかに浮かび、強い印象を残す句である。現代都市の象徴ともいえるタワーマンションが墓標のようだという比喩がぴったりで、季語の稲光と相まって、叙景句にとどまらない思想性を感じさせる。句会でも「何かストーリーがあるような気がする」(千虎)、「現代文明への批評にも通じる」(木葉)など句の背後に思いを致した人が多く、高点を得て二席となった。
タワーマンションに法的定義はないが、一般に高さ60メートル(20階建)以上の超高層マンションをさす。50年ほど前に最初は郊外に登場したが、建築基準法の改正で都心部にも相次いで建設されるようになった。首都圏には全国の半数の790棟があり、臨海部の勝どきや武蔵小杉など、50階を超えるタワマンが林立する光景は、テレビにもよく登場する。
今や平均価格が1億円をはるかに超すタワマンの購入者は、共稼ぎの高所得ファミリー層が多いと言われる。住んでいる人は眺望と都心暮らしを満喫しているだろうが、コンクリートに囲まれた超高層階での生活、防災面の課題など、傍から見るとどこか不安がつきまとう。「大地震でタワマンがバタバタ倒れる夢を見るが、何年か先の東京の実景かもしれない」(水牛)という予知夢も、あながち杞憂とは言い切れないであろう。
作者は切れ味鋭い時事句を得意とする。バベルの塔の神話ではないが、掲句は人々がタワマンに感じる根源的な違和感、不安感を、稲光に浮かぶ墓標に見立てることで、イメージ化してみせた秀句と思う。
(迷 24.09.14.)
『この一句』
一読して光景があざやかに浮かび、強い印象を残す句である。現代都市の象徴ともいえるタワーマンションが墓標のようだという比喩がぴったりで、季語の稲光と相まって、叙景句にとどまらない思想性を感じさせる。句会でも「何かストーリーがあるような気がする」(千虎)、「現代文明への批評にも通じる」(木葉)など句の背後に思いを致した人が多く、高点を得て二席となった。
タワーマンションに法的定義はないが、一般に高さ60メートル(20階建)以上の超高層マンションをさす。50年ほど前に最初は郊外に登場したが、建築基準法の改正で都心部にも相次いで建設されるようになった。首都圏には全国の半数の790棟があり、臨海部の勝どきや武蔵小杉など、50階を超えるタワマンが林立する光景は、テレビにもよく登場する。
今や平均価格が1億円をはるかに超すタワマンの購入者は、共稼ぎの高所得ファミリー層が多いと言われる。住んでいる人は眺望と都心暮らしを満喫しているだろうが、コンクリートに囲まれた超高層階での生活、防災面の課題など、傍から見るとどこか不安がつきまとう。「大地震でタワマンがバタバタ倒れる夢を見るが、何年か先の東京の実景かもしれない」(水牛)という予知夢も、あながち杞憂とは言い切れないであろう。
作者は切れ味鋭い時事句を得意とする。バベルの塔の神話ではないが、掲句は人々がタワマンに感じる根源的な違和感、不安感を、稲光に浮かぶ墓標に見立てることで、イメージ化してみせた秀句と思う。
(迷 24.09.14.)
庭先に干されしおまる曼珠沙華 斉山 満智
庭先に干されしおまる曼珠沙華 斉山 満智
『この一句』
「おまる」とは乳幼児や病人用の室内便器。健康成人だけの家庭には無縁のものだが、乳児や寝たきり老人を抱える家には必需品だ。おまるは有史以来重要な家庭用品として生き続けてきたものなのだが、「不浄のもの」として常に日陰に押しやられてきた。こうして俳句に詠まれることなど滅多に無いことで、この句はその点でも特筆大書すべきものである。
古代日本語で排便することを「まる」と言い、時にはその落下物のことも言っていた。排尿は「ゆまる」と言うのだが、いかにもという感じである。『源氏物語』などで想像する奈良平安の大内裏や貴族館は実に優雅だが、実際は極めて不便な暮らしを強いられていた。その最たるものが「用足し」である。今のように自由自在に水道配管して必要箇所にトイレを設けるというわけにはいかない。屋敷内でもぐんと離れた所に設けられる。十二単をまとった御婦人方は間に合わないこともしばしばだったに違いない。というわけで「おまる」は大昔からの必需品だった。
さてこの句の鑑賞だが、私は一読、この「おまる」は乳幼児用のものではなく寝たきり老人のものではないかと思った。ただ食べて、排泄するだけの日々。真っ白なおまるが真っ青な秋空に干されている。その主人公が遠からず行く浄土を飾るという曼珠沙華があかあかと陽に映えている。
(水 24.09.12.)
『この一句』
「おまる」とは乳幼児や病人用の室内便器。健康成人だけの家庭には無縁のものだが、乳児や寝たきり老人を抱える家には必需品だ。おまるは有史以来重要な家庭用品として生き続けてきたものなのだが、「不浄のもの」として常に日陰に押しやられてきた。こうして俳句に詠まれることなど滅多に無いことで、この句はその点でも特筆大書すべきものである。
古代日本語で排便することを「まる」と言い、時にはその落下物のことも言っていた。排尿は「ゆまる」と言うのだが、いかにもという感じである。『源氏物語』などで想像する奈良平安の大内裏や貴族館は実に優雅だが、実際は極めて不便な暮らしを強いられていた。その最たるものが「用足し」である。今のように自由自在に水道配管して必要箇所にトイレを設けるというわけにはいかない。屋敷内でもぐんと離れた所に設けられる。十二単をまとった御婦人方は間に合わないこともしばしばだったに違いない。というわけで「おまる」は大昔からの必需品だった。
さてこの句の鑑賞だが、私は一読、この「おまる」は乳幼児用のものではなく寝たきり老人のものではないかと思った。ただ食べて、排泄するだけの日々。真っ白なおまるが真っ青な秋空に干されている。その主人公が遠からず行く浄土を飾るという曼珠沙華があかあかと陽に映えている。
(水 24.09.12.)
とげとげの心丸めて盆支度 篠田 朗
とげとげの心丸めて盆支度 篠田 朗
『合評会から』(日経俳句会)
枕流 イライラすることがあっても、先祖が帰ってくる間くらいは、気持ちを抑えるという感じがよく伝わってきました。
卓也 盆に集う面々の屈託あれこれに思いを馳せ、実感と共感が新た。
朗(作者) 毎年の盆支度は私の仕事。今年もそろそろと思っていた矢先に家内から督促され、ちょっとイラっとしてしまいました。提灯を組み立てながら盆くらいは心穏やかにと過ごそうと反省し、心を丸めた次第です(笑)。
* * *
「とげとげの心丸めて」というフレーズが実にユニークで面白い。人は皆どこかにとげとげしい心根を持っているし、ときには日ごろの憤懣が高じて噴出することもある。盆の時期はことさら角ばった感情は「丸く収めて」先祖供養し、子や孫の帰宅を優しく迎えなければならない。仏壇の前に盆提灯を置き香華を供え、坊さんの来訪を待つ盆用意。そろそろやろうかなと思っていたその時、奥さんから催促されたとすれば、イラっとするのは理解できる。子どもに「早く勉強しなさい」と言ったら、逆にしたくなくなるという児童心理と似ている。さすがに作者は分別盛り。イラつく心を反省し奥さんに応えた。家内の平和大事と大人の対応をしたのであろう。亭主族共感の持てる句だ。
(葉 24.09.10.)
『合評会から』(日経俳句会)
枕流 イライラすることがあっても、先祖が帰ってくる間くらいは、気持ちを抑えるという感じがよく伝わってきました。
卓也 盆に集う面々の屈託あれこれに思いを馳せ、実感と共感が新た。
朗(作者) 毎年の盆支度は私の仕事。今年もそろそろと思っていた矢先に家内から督促され、ちょっとイラっとしてしまいました。提灯を組み立てながら盆くらいは心穏やかにと過ごそうと反省し、心を丸めた次第です(笑)。
* * *
「とげとげの心丸めて」というフレーズが実にユニークで面白い。人は皆どこかにとげとげしい心根を持っているし、ときには日ごろの憤懣が高じて噴出することもある。盆の時期はことさら角ばった感情は「丸く収めて」先祖供養し、子や孫の帰宅を優しく迎えなければならない。仏壇の前に盆提灯を置き香華を供え、坊さんの来訪を待つ盆用意。そろそろやろうかなと思っていたその時、奥さんから催促されたとすれば、イラっとするのは理解できる。子どもに「早く勉強しなさい」と言ったら、逆にしたくなくなるという児童心理と似ている。さすがに作者は分別盛り。イラつく心を反省し奥さんに応えた。家内の平和大事と大人の対応をしたのであろう。亭主族共感の持てる句だ。
(葉 24.09.10.)
孫と嫁残暑を置いて帰りけり 加藤 明生
孫と嫁残暑を置いて帰りけり 加藤 明生
『この一句』
同居もしくは隣近所に住んでいる場合を除き、久しぶりに遠方の孫に会えるのは、祖父母にとって至福の喜びである。孫は、血を分けた自分の分身でありながら我が子と違い、育児やしつけ、教育への配慮、責任はなく、ただ短い間だけ可愛がっていればいい存在だ。孫の方も我が儘を聞いてくれ、怒られることもないので甘えっぱなし。孫の句が敬遠されるのは、そんな個人的な「甘い関係」があくまでも個の域を出ないからだ。「ほら、可愛いでしょ」と、ひとの孫の写真を見せられても…、という訳だ。
さて掲句。夏休みとあって息子夫婦が孫を連れて作者の家へ来た。あちこち念入りに掃除して、寝具も整えた。牛肉やら刺身やらご馳走を準備し、孫が喜びそうな食べ物も加え、盛大におもてなし。急に増えた家族と賑やかな食事を楽しむ。翌日は、近くのショッピングセンターに孫と買物。言われるままにおもちゃを買ったり、お子様ランチに付き合ったり。そんなこんなの二泊三日が終わり、孫一家が帰って行った。濃密な時間が過ぎ、また元の老夫婦だけの生活に戻ったとたん、急に残暑を感じた。まるで孫一家の置き土産のように。
「孫は来てよし、帰ってよし」。掲句はその「帰ってよし」を詠んだことで、孫句の甘さから距離をおくことに成功した。「残暑を置いて」の措辞も斬新で、得票は二桁を超え、堂々の一席に輝いた。
(双 24.09.08.)
『この一句』
同居もしくは隣近所に住んでいる場合を除き、久しぶりに遠方の孫に会えるのは、祖父母にとって至福の喜びである。孫は、血を分けた自分の分身でありながら我が子と違い、育児やしつけ、教育への配慮、責任はなく、ただ短い間だけ可愛がっていればいい存在だ。孫の方も我が儘を聞いてくれ、怒られることもないので甘えっぱなし。孫の句が敬遠されるのは、そんな個人的な「甘い関係」があくまでも個の域を出ないからだ。「ほら、可愛いでしょ」と、ひとの孫の写真を見せられても…、という訳だ。
さて掲句。夏休みとあって息子夫婦が孫を連れて作者の家へ来た。あちこち念入りに掃除して、寝具も整えた。牛肉やら刺身やらご馳走を準備し、孫が喜びそうな食べ物も加え、盛大におもてなし。急に増えた家族と賑やかな食事を楽しむ。翌日は、近くのショッピングセンターに孫と買物。言われるままにおもちゃを買ったり、お子様ランチに付き合ったり。そんなこんなの二泊三日が終わり、孫一家が帰って行った。濃密な時間が過ぎ、また元の老夫婦だけの生活に戻ったとたん、急に残暑を感じた。まるで孫一家の置き土産のように。
「孫は来てよし、帰ってよし」。掲句はその「帰ってよし」を詠んだことで、孫句の甘さから距離をおくことに成功した。「残暑を置いて」の措辞も斬新で、得票は二桁を超え、堂々の一席に輝いた。
(双 24.09.08.)
なき人はよき人ばかり流れ星 廣田 可升
なき人はよき人ばかり流れ星 廣田 可升
『合評会から』(番町喜楽会)
白山 感じがいい句ですねぇ。本当の気持ちなんだ。素直な人が詠んだ句ではないでしょうか。
てる夫 亡くなった人を偲ぶ気持ちは、こんな気持ちなんだなぁと感じました。死んだ人のことは、いい事しか思い出さないんだ。
春陽子 思い出とは、いい事だけが残るんです。それに「流れ星」という季語からはなぜか亡くなった人が頭をかすめる。この微妙なところを上手く詠んだなと思いました。
青水 名調子ですな。確かにおっしゃる通りといただきました。
迷哲 家族でも友人でも、先に逝った人はいい人ばかりというのは、残った者がよく抱く感慨です。「なき人」、「よき人」の対句表現、下五に流れ星を置いた語順などよく工夫された句です。
* * *
仏教に慣れ親しんできた日本人の死生観のひとつは、死んでしまえば善人も悪人もない、すべて仏となるというもの。何世紀ものあいだ染み付いたその感覚が死者を敬い、菩提を弔う心を育む。「あんなに嫌だと思っていた元上司でさえ、亡くなってみればよき人に思えてきます」と、作者は句意を解説している。故人の嫌な思い出は死去と同時に雲散霧消する。後に残るのは笑顔とか僅かばかりのよい記憶。兼題の「流れ星」にぴったり合い、身近だった故人をしみじみ想う心情が浮かんで来る句だ。
(葉 24.09.06.)
『合評会から』(番町喜楽会)
白山 感じがいい句ですねぇ。本当の気持ちなんだ。素直な人が詠んだ句ではないでしょうか。
てる夫 亡くなった人を偲ぶ気持ちは、こんな気持ちなんだなぁと感じました。死んだ人のことは、いい事しか思い出さないんだ。
春陽子 思い出とは、いい事だけが残るんです。それに「流れ星」という季語からはなぜか亡くなった人が頭をかすめる。この微妙なところを上手く詠んだなと思いました。
青水 名調子ですな。確かにおっしゃる通りといただきました。
迷哲 家族でも友人でも、先に逝った人はいい人ばかりというのは、残った者がよく抱く感慨です。「なき人」、「よき人」の対句表現、下五に流れ星を置いた語順などよく工夫された句です。
* * *
仏教に慣れ親しんできた日本人の死生観のひとつは、死んでしまえば善人も悪人もない、すべて仏となるというもの。何世紀ものあいだ染み付いたその感覚が死者を敬い、菩提を弔う心を育む。「あんなに嫌だと思っていた元上司でさえ、亡くなってみればよき人に思えてきます」と、作者は句意を解説している。故人の嫌な思い出は死去と同時に雲散霧消する。後に残るのは笑顔とか僅かばかりのよい記憶。兼題の「流れ星」にぴったり合い、身近だった故人をしみじみ想う心情が浮かんで来る句だ。
(葉 24.09.06.)
猫達と夫に一献遠花火 藤野 十三妹
猫達と夫に一献遠花火 藤野 十三妹
『季のことば』
花火は夏の風物詩として親しまれているが、江戸時代は秋の季語だったという。水牛歳時記によれば、もともとお盆の行事として始まったものが、「明治以降、夏休みの景気付けに各地で7月に花火大会が開催されるようになって、夏の季語になった」。よく知られる隅田川花火大会は7月の最終土曜日に開催される。夏休みと花火の記憶が重なる人も多いのではなかろうか。
同類の季語に、打揚花火、仕掛花火、庭花火、線香花火などがあり、離れた場所から花火を眺める「遠花火」もその一つである。間近で見る花火の迫力はないが、遠花火には光に遅れて音が届く面白さや、暗闇に小さく浮かんで消える儚さがある。
掲句の作者はその遠花火を猫達と眺めている。「夫に一献」とは、花火がお盆行事であったことを踏まえると、亡くなった夫に盃を捧げていると考えるべきであろう。作者は2年ほど前に最愛の夫を亡くし、偲ぶ句をたくさん詠まれている。掲句もそれに連なる一句であろう。
独り暮らしの作者が、飼っている猫と花火を見ながら、亡き夫を思って酒を汲むという状況が、遠花火の持つしみじみとした雰囲気と響き合っている。花火が遠いだけでなく、亡くなって2年を経て、夫との思い出も少し遠くなったという感慨もにじんでいるように思える。
(迷 24.09.04.)
『季のことば』
花火は夏の風物詩として親しまれているが、江戸時代は秋の季語だったという。水牛歳時記によれば、もともとお盆の行事として始まったものが、「明治以降、夏休みの景気付けに各地で7月に花火大会が開催されるようになって、夏の季語になった」。よく知られる隅田川花火大会は7月の最終土曜日に開催される。夏休みと花火の記憶が重なる人も多いのではなかろうか。
同類の季語に、打揚花火、仕掛花火、庭花火、線香花火などがあり、離れた場所から花火を眺める「遠花火」もその一つである。間近で見る花火の迫力はないが、遠花火には光に遅れて音が届く面白さや、暗闇に小さく浮かんで消える儚さがある。
掲句の作者はその遠花火を猫達と眺めている。「夫に一献」とは、花火がお盆行事であったことを踏まえると、亡くなった夫に盃を捧げていると考えるべきであろう。作者は2年ほど前に最愛の夫を亡くし、偲ぶ句をたくさん詠まれている。掲句もそれに連なる一句であろう。
独り暮らしの作者が、飼っている猫と花火を見ながら、亡き夫を思って酒を汲むという状況が、遠花火の持つしみじみとした雰囲気と響き合っている。花火が遠いだけでなく、亡くなって2年を経て、夫との思い出も少し遠くなったという感慨もにじんでいるように思える。
(迷 24.09.04.)
銀の匙磨くも母の盆支度 星川 水兎
銀の匙磨くも母の盆支度 星川 水兎
『合評会から』(日経俳句会)
てる夫 盆の支度で、なぜ銀の匙かという点がこの句のミソでしょう。すごく年季が入った古いスプーンセットがお婆ちゃんのお気に入り。
双歩 仏具を磨くでは当たり前なので、銀の匙を持ってきたところがポエムだと思いました。
光迷 銀製品は手入れが大変、それにしてもご自宅で銀の匙をお使いとは。
豆乳 母はお盆になると忙しなくなります。盆支度という言葉がいいですね。
* * *
お盆を迎える支度はいろいろと忙しい。自宅回りの草刈りや清掃から始まって、仏間の掃除、仏具の手入れ、盆提灯を出して、霊棚を設え、茄子や胡瓜の馬を作って、盆花も生けて、苧殻を炊いて、などなど。さらに、子供や孫、親類などを迎える準備も大変だ。季語「盆用意・盆支度」にこれらの事柄、例えば「仏具磨いて」などと詠んでも佳句は生まれそうもない。それどころか、季語の説明になりかねない。
この作者の母堂は、お盆を迎えるにあたり来客用の銀の匙を磨くという。銀製品は、硫化や塩化によって黒ずんでしまう。専用の布やクリームで磨くと、銀の輝きが戻る。その作業も母にとっては重要な「盆支度」なのだと詠う。一見、銀の匙とお盆とはかけ離れているようだが、その乖離が詩を生み、印象鮮明な一句となった。
(双 24.09.01.)
『合評会から』(日経俳句会)
てる夫 盆の支度で、なぜ銀の匙かという点がこの句のミソでしょう。すごく年季が入った古いスプーンセットがお婆ちゃんのお気に入り。
双歩 仏具を磨くでは当たり前なので、銀の匙を持ってきたところがポエムだと思いました。
光迷 銀製品は手入れが大変、それにしてもご自宅で銀の匙をお使いとは。
豆乳 母はお盆になると忙しなくなります。盆支度という言葉がいいですね。
* * *
お盆を迎える支度はいろいろと忙しい。自宅回りの草刈りや清掃から始まって、仏間の掃除、仏具の手入れ、盆提灯を出して、霊棚を設え、茄子や胡瓜の馬を作って、盆花も生けて、苧殻を炊いて、などなど。さらに、子供や孫、親類などを迎える準備も大変だ。季語「盆用意・盆支度」にこれらの事柄、例えば「仏具磨いて」などと詠んでも佳句は生まれそうもない。それどころか、季語の説明になりかねない。
この作者の母堂は、お盆を迎えるにあたり来客用の銀の匙を磨くという。銀製品は、硫化や塩化によって黒ずんでしまう。専用の布やクリームで磨くと、銀の輝きが戻る。その作業も母にとっては重要な「盆支度」なのだと詠う。一見、銀の匙とお盆とはかけ離れているようだが、その乖離が詩を生み、印象鮮明な一句となった。
(双 24.09.01.)
ヴィトン下げあの娘降り立つ盆の駅 杉山三薬
ヴィトン下げあの娘降り立つ盆の駅 杉山三薬
『この一句』
盆と正月は日本人最大の年中行事だ。仏壇を前に先祖を敬い感謝するお盆に比べ、国中が清新の気につつまれる正月はうきうきする。盆はどうしても抹香くさく、墓参りの習慣も核家族化が行き着いた昨今、途絶えがちになっているようだ。「親戚もいまやちりぢり盂蘭盆会 大澤水牛」と嘆息するように、家族や親類が一堂に集う盆行事はほぼなくなった。伯父伯母、その子たちは今どうしているのだろうかと思うばかり。
そんななか、故郷の実家に帰って盆の行事に加わろうなどという、掲句の娘さんなどは立派な心掛けの持ち主である。ただし、勤め先が一斉盆休みでやることもなく仕方なく帰郷したのかもしれず、句の本意はどちらか分からないが。
とにかく若い女性あこがれのヴィトンのバッグを下げ、駅に降り立つ娘の姿がある。高校卒業後、故郷を離れ都会の学校を出てどこか会社に就職したのか。まずは娘の”現在地”が気になる。ヴィトンもボストンバッグほどの大きさになるとずいぶんと値が張る。それを持てるほどの収入があるのは間違いない。意気揚々と下車したのか、人目をしのぶように降り立ったのかも気になる。どこかに隠れたドラマがあるような句である。いささか古い話で恐縮だが、『カルメン故郷に帰る』という高峰秀子演じる、日本初の総天然色映画を思い出した。「妄想が過ぎるよ」と作者に怒られそうではあるが、「ヴィトン」と「あの娘(こ)」が妄想をかきたてる。
(葉 24.08.31.)
『この一句』
盆と正月は日本人最大の年中行事だ。仏壇を前に先祖を敬い感謝するお盆に比べ、国中が清新の気につつまれる正月はうきうきする。盆はどうしても抹香くさく、墓参りの習慣も核家族化が行き着いた昨今、途絶えがちになっているようだ。「親戚もいまやちりぢり盂蘭盆会 大澤水牛」と嘆息するように、家族や親類が一堂に集う盆行事はほぼなくなった。伯父伯母、その子たちは今どうしているのだろうかと思うばかり。
そんななか、故郷の実家に帰って盆の行事に加わろうなどという、掲句の娘さんなどは立派な心掛けの持ち主である。ただし、勤め先が一斉盆休みでやることもなく仕方なく帰郷したのかもしれず、句の本意はどちらか分からないが。
とにかく若い女性あこがれのヴィトンのバッグを下げ、駅に降り立つ娘の姿がある。高校卒業後、故郷を離れ都会の学校を出てどこか会社に就職したのか。まずは娘の”現在地”が気になる。ヴィトンもボストンバッグほどの大きさになるとずいぶんと値が張る。それを持てるほどの収入があるのは間違いない。意気揚々と下車したのか、人目をしのぶように降り立ったのかも気になる。どこかに隠れたドラマがあるような句である。いささか古い話で恐縮だが、『カルメン故郷に帰る』という高峰秀子演じる、日本初の総天然色映画を思い出した。「妄想が過ぎるよ」と作者に怒られそうではあるが、「ヴィトン」と「あの娘(こ)」が妄想をかきたてる。
(葉 24.08.31.)