ねぶた仕舞い重機が潰す武者姿  工藤 静舟

ねぶた仕舞い重機が潰す武者姿  工藤 静舟

『季のことば』

 佞武多(ねぶた)は、秋の季語。青森県津軽地方の七夕行事で、武者絵などを描いた大きなねぶた(灯籠の一種)を引いて町中を練り歩く。七夕の灯籠流しと、農作業の眠気を川や海に流す「眠流し(ねむりながし)」の行事が結びついたものと言われている。
 青森ねぶた祭は、秋田竿灯祭、仙台七夕祭とともに東北三大祭の一つで、鈴をつけた跳人(はねと)と呼ばれる踊り子がねぶたの回りを跳ねながら踊る。弘前では「ねぷた」と呼び、扇型の灯籠を引き、五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)は、高さ20メートル以上、重さ約20トンという巨大な灯籠が特徴だ。他にも黒石市の黒石ねぷたなど、青森県各地でねぶた祭が催され、秋を告げる風物詩として人気を集めている。
 佞武多を詠んだ句、例えば「今生を燃えよと鬼の佞武多来る」の作者、成田千空は青森市出身。五所川原市で書店を営みながら『万緑』を主宰した。また「ぬっと出て町睥睨す立佞武多」を詠んだ藤木倶子は、八戸市生まれで青森俳壇の中心的人物として活躍した。掲句の作者もまた青森出身。上記二人の地元に根ざした句と同様に、旅行者ではまず詠めそうもない「佞武多詠」だ。
 笛太鼓に合わせ勇壮な武者姿の山車が町を練り歩く。一夜明ければ〝祭の後〟のけだるい寂しさが訪れる。掲句はさらに容赦ない。何日もかけて準備した大きな張りぼてが無残にも重機で潰されていくのだ。手間暇かけて造り上げられたモノが一瞬にして灰燼に帰す。ミサイルで破壊され、瓦礫となった街と重ね合わせるのは穿ち過ぎだろうか。
(双 26.09.16.)

新涼やお洒落なひとの七分袖   池村 実千代

新涼やお洒落なひとの七分袖   池村 実千代

『この一句』

 猛暑が去って朝夕に涼しさを感じるようになった頃、七分袖の服をお洒落に着こなした人物(おそらく女性)をさらりと詠み、秋到来を感じさせる句である。季節の変化をファッションで捉えたところが面白く、点を入れた。句会でも高点を得て話題になったがたが、七分袖とお洒落の関係について、出席者の見方が微妙に食い違った。
 何事にも一家言のある三薬氏が「七分袖はダサい。お洒落な人がわざわざ選んで着ているところに句意があり、そこに面白味や俳諧味がある」と珍説を披露。これに対し、この日七分袖を着て来た千虎氏が「秋めいてくると半袖ではちょっと寒く、まだ長袖は着たくないということで七分袖を選ぶことがある。お洒落な人が着たらきっとカッコいい」と反論した。
 また可升氏は「ちょっと寒いから長めの袖の服を着ましょうかと、別にお洒落とかに関係なくそうするでしょう」と主張。これには双歩氏が「お洒落だから七分袖を選んだのでしょう」と逆の見方を示した。
 句をよく読むと、お洒落な七分袖ではなく、「お洒落なひとの七分袖」という表現である。とすれば、ファッションセンスのある人が、季節の変化を敏感に感じ取り、七分袖を選んだと解釈するのが妥当ではないか。そんな人であれば、選んだ七分袖もきっとお洒落なものであったろう。
 最後に司会の双歩氏が「作者はお洒落な実千代さんです」と舞台裏を明かして、論争は幕引きとなった。
(迷 26.09.13.)

穂高より新涼下る北信濃     中村 迷哲

穂高より新涼下る北信濃     中村 迷哲

『季のことば』

 九月に入って長雨続きで気温はだいぶ下がったが、雨がやむと蒸し暑さがぶり返す。老体には体力の限界だと感じざるを得ない。「新涼」の二文字がことのほか好ましく見える。この句は8月下旬の句会に投句されたもので、ことのほか気持よく感じられた。
 新涼の季語には、体が秋の気配を覚えるほか、遠く近くに見るものに秋の気配を感じることと理解している。川端茅舎の「新涼や白きてのうらあしのうら」に新涼の研ぎ澄まされた感覚が詠まれていると思う。
 掲句の新涼はどこから来るのだろう、北信濃では北アルプス穂高連峰から降りてくるのだと作者は言う。善光寺をかかえる県都長野、葛飾北斎ゆかりの小布施に加え、上信越高原、妙高戸隠連山の二つの国立公園のある北信濃。高い山がそびえる北信・中信の長野の秋は早い。夏休みの昔、ペンションを経営するゴルフ仲間を安曇野に訪ねたことがある。日中の暑さに比べ夜の冷え込みは格別であった。そのペンションが五右衛門風呂だったのことを妙に思い出す。夏季には涼風を送りつづけ、秋には穂高連峰が冷風をもたらすという作者の言いように納得できる。中信である安曇野には同じく北アからは冷涼な水が流れ来て、大規模なわさび農園を成り立たせている。最近はことに寿司好きの外国人観光客を大勢引き寄せているという。
 近年ことに激烈となった世界的な異常高温。「新涼」というソーダ水のような季語と掲句の心象風景に癒される心地がするのは当然であろう。
(葉 26.09.10.)

ゆびきりげんまんうそつきは缶ビール 横井定利

ゆびきりげんまんうそつきは缶ビール 横井定利

『この一句』

 「指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ます」のパロディ。そうとわかりながら、百三十句以上の句が並ぶ選句表にこの句を見つけた時に強く惹かれるものがあった。八五五の超破調ながら、口にしてみてスムースなのは、「飲ます」までコピーしなかったからこそ。「うそつきは缶ビール」という不思議な呪文のような措辞に、句意はまったくわからないが、あっけらかんとした、清々しさを感じた。嘘をついて缶ビールがもらえるなら、いくらでも嘘をつくよ、と絡んでみたくなるところも、なんともユーモラスでおかしい。
 今回初めて参加した日経俳句会には、若くて現役バリバリの人がいるので、そういう方の作品かと想像していたら、筆者よりもはるかにご高齢の方の作品だと知り、その自由な発想をうらやましく思った。こういう句を詠んで、わざとらしくならないのは、たぶん、年輪のなせる業だろう。
 余談ながら、この句を読んで、池田澄子の「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」を思い出した。合わせて、不条理俳句とでもジャンル分けしてみたくなる。こんな句ばかりがずらりと並んでも困るだろうが、時折こんな清涼剤のような句がある方が、句会としては活気があって良いように思う。
(可 26.09.07.)

二千年眠りて紅の古代蓮     篠田  朗

二千年眠りて紅の古代蓮     篠田  朗

『季のことば』

 蓮はハス科の多年生水生植物で、真夏の池や沼などの水辺に、ピンクや白の大ぶりの花を咲かせる。夜明けに開花し昼にはしぼむ。花が終わると花托が成長し、蜂の巣のようになることから蜂巣(はちす)とも呼ばれ、実も食べられる。秋には地下茎が大きくなり、蓮根として賞味されるなど一年を通じて親しまれている。インドなどが原産といわれ、日本でも万葉のころから詩歌に詠われ、「蓮植う(晩春)」「蓮の浮葉(初夏)」「蓮の花(晩夏)」「敗荷、蓮の実(仲秋)」「枯蓮(三冬)」「蓮根掘る(初冬)」と四季折々の季語がある。
 掲句の「古代蓮」とは、今から75年前に大賀一郎博士が千葉市の遺蹟から採取した蓮が二千年前のものと鑑定された「大賀ハス」のこと。今では株分け、移植され全国で栽培されている。また、埼玉の行田蓮は建設工事中、偶然出土した種子が自然発芽。調査の結果、1400年~3000年前の古代蓮と目されている。
 二千年の眠りから目覚めた紅い古代蓮が咲いています、と淡々と事実を述べたに過ぎないこの一句。作者の感動を抑えた行間からは、古代ロマンへの憧憬が静かに伝わってくる。あえて「何も言わない」という俳句ならではの表現が読者の心を掴んだ。
(双 26.09.04.)

湯上がりの髪をほどけば月涼し  安彦 真弓

湯上がりの髪をほどけば月涼し  安彦 真弓

『この一句』

 風呂から上がって髪をほどく女性に、涼しげな夏の月を配し、浮世絵を見るような艶っぽい句である。7月の日経俳句会で高点を得たが、出席者が男性ばかりだったので、詠まれた場面がよく分からず、群盲象を撫でるような議論となった。
 男性は髪を洗った時点でバラバラになるので、湯上がりの髪をほどくという表現が理解できなかったようだ。帰ってから妻に聞くと、女性は髪が長いので洗った髪を頭の上にまとめてタオルで包み、風呂を出てからほどいてドライヤーなどで乾かすという。洗わない時も髪が濡れないようにタオルで包んでおくようだ。
 掲句は髪を洗った女生と考えた方が、風情が生まれる。濡れた髪をタオルで包んで風呂を出た女性が、乾かそうとほどく。月が見えているのだから、ベランダではなかろうか。涼しい風を受けながら乾かしているのである。見上げると空には夏の月が冴え冴えと浮かんでいる。湯上がりの女性が感じる涼しさと、月涼しという季語が相まって、夏の宵にふさわしい景である。
 作者に聞くと、旅先の温泉宿での体験を詠んだという。そうだとすると浴衣の要素も加わり、艶っぽさが増す。「湯の宿に髪をほどくや月涼し」などと、勝手に考えてみたがどうだろう。
(迷 26.09.01.)

八月の記憶この国と妻の国    前島 幻水

八月の記憶この国と妻の国    前島 幻水

『合評会から』(日経俳句会)

三薬 この句はどなたの句かすぐに分かりました。ご主人が日本人、奥様がドイツ人ですね。作者の感慨が気負うことなく表現されていて良い句だと思いました。
百子 はじめ何だろうと思いました。ドイツ人の奥様を持つあの方だなと気づくまで時間がかかりました。真実なお気持ちだと。
満智 奥様が外国、たぶんドイツの方の句でしょうか。それぞれの重い記憶が偲ばれる、心に刺さる句です。
ヲブラダ 戦争と言う言葉がなくても、何について詠んでいるのか分かります。しかし、この国のもっと若い世代はどうなのでしょうか。
          *       *       *
 句会の中にいれば誰の句と、おのずから分かってしまうことがある。掲句も作者を知る句友には容易に作者を判別できたわけだ。詠まれた内容が日常茶飯ありきたりのものではない限り句は生彩を放つ。8月という特異な月にドイツ人の妻と作者の思いが交錯したのだ。先の大戦を経験した二人。恐らくは戦争を忌避したに違いない当時の苦い記憶がよみがえる。当時のナチスドイツと軍国日本、敗戦国同士の言いようのない歴史の虚しさが言外に読み取れる。「いつか来た道」の再現を恐れる句として、選句すべき作品だったと後悔している。
(葉 26.08.29.)

好物を思ひ数へて盆用意     向井 愉里

好物を思ひ数へて盆用意     向井 愉里

『この一句』

 句会では、この句の「思ひ数へて」の「数へて」に、「意味がわからない」と疑問の声があがった。筆者はこの「数へて」は「あれも好きだった、これも好きだった」と亡き人の好物を思い浮かべるだけでなく、その人柄や在りし日の姿を偲ぶというニュアンスも含めた、比喩としての「思ひ数へて」だと解釈した。
 試しに、この箇所を「思ひ浮かべて」にしてみたら、この句はとても薄っぺらなものになってしまう。「思ひ数へて」としたことで、表現として膨らみが出て、内容豊かな句になったと思う。
 筆者には、盆支度をしたという経験があまりない。子供の頃は、家業が八百屋だったため、夏場は書入れ時で忙しく、お盆どころではなかった。また、浄土真宗の家に育ったので、死後は極楽往生するべきもので、死者が毎年家に戻るという祖霊信仰とは縁が薄かったのかもしれない。
 それでも、お盆を機会に、家族がそろってお迎えの準備をし、亡き人のことを偲ぶ光景は、とても美しい日本の習俗だと思う。特段の盆支度はせずとも、お盆の時期には、縁者の誰彼の顔を思い浮かべ、心から合掌するようにしている。
(可 26.08.27.)

鎮魂の八月おほふ熱地獄     徳永 木葉

鎮魂の八月おほふ熱地獄     徳永 木葉

『合評会から』(日経俳句会)

二堂 鎮魂の八月と熱地獄という言葉が響き合っていると感じました。
明生 広島忌、長崎忌、それに加えて今年は熊本の地震、千葉の水害などなど。鎮魂の八月であるはずなのに、異常とも言えるこの熱地獄、まさに言い得た句だと思います。
鷹洋 終戦を迎えた八月十五日。「日本の一番暑い日」と、近来にない酷暑を巧みに重ねた佳句です。
          *       *       *   
 「鎮魂の八月」で思い出すのは「八月や六日九日十五日」という句である。かつて日経新聞の「春秋」などでも取り上げられたが、最初の作者は誰か、というのが話題になった作品だ。諸説があり「詠み人知らず」ならぬ「詠み人多数」という声も聞く。上五の「八月や」を「八月の」あるいは「八月は」とする句もあるので、混乱は無理のないところかもしれない。
 掲句はその八月が、すさまじいばかりの猛暑・酷暑続きになった今年の夏を活写している。日本ばかりでなく米国でも欧州でも渇水や山火事が頻発するなど、地球が悲鳴を上げているのは確かではないか。なのに、まだ砲弾を撃ち合い、さらには電力をバカ食いするAIの開発に血眼になっている。これでは地球温暖化の議論は風前の灯火となり、熱地獄に拍車がかかるばかりではないか。嗚呼。(光 26.08.25.)

百日紅桜でんぶのお弁当     星川 水兎

百日紅桜でんぶのお弁当     星川 水兎

『合評会から』(日経俳句会)

三薬 桜でんぶの弁当は、子供の頃女の子がよく持ってきていた。そんなに高いもんじゃあないが、私らの口には入らず、うらやましいと思って見ていた。そんな思い出があって思わず採った。百日紅と桜でんぶは、並べられるとよく合っています。
豆乳 桜でんぶという言葉、久しぶりに聞いた。幼稚園ぐらいの時以来かなあ。桜でんぶの、あの薄甘い味が大好きでした。百日紅との色合いの調和と言い、かわいい句です。
卓也 いわれて足下をみると百日紅、よくもこれ程の花を散らしたものと思いますが、お弁当に見立てたのが楽しい。
ヲブラダ 杉浦日向子の漫画の一場面を切り取ったよう。身近な別世界を感じます。
          *       *       *
 百日紅の樹はお寺や公園など身近にあり、字の通り花期は長く真夏の街路樹としてよく似合う。一部樹皮が剥げ落ちてすべすべした幹には涼感さえ感じさせる。ふわふわの花びらも優しく好ましい。散ると舗道に紅の小粒を撒き散らし風情をもたらす。この句を見たとき、「お弁当」のフレーズから女性の作だろうと。点を入れた句友は、花びらを桜でんぶに見立てたのに同意する。なるほどそう見えないことはない。「百日紅」と「桜でんぶ」――そこから昔の弁当の懐かしさを呼び起こした。
(葉 26.08.22.)