生の牡蠣食へぬ男と食ふ女    横井 定利

生の牡蠣食へぬ男と食ふ女    横井 定利

『合評会から』(日経俳句会)

てる夫 思わず、うちのことかと思った。わが家では家内のほうがよく食っています。
水馬 この男は煮ても焼いても牡蠣が駄目なのかなあ。かかあ天下の夫婦なのかなあ。どことなく笑える。
静舟 私もフライだけ。女性で嫌いな人はめったにいない。
朗 私は牡蠣を食べたいとは思いません。いろいろ想像させる句です。
          *       *       *
 面白いことを詠むものだと作者の機知に感心する。確かに牡蠣ほど好きな人と嫌いな人の別れる食物は無いように思う。だめという人は、見ただけでも気味が悪いと言う。好きな人は生牡蠣を思い浮かべただけで唾が湧いて来るという。
 50年前、東欧に赴任していた頃、当時のユーゴスラヴィアのあちこちを周り、アドリア海の名物の生牡蠣を毎日食べた。あまりにも美味しいのである晩、1ダースを3回お代わり(36個)した。その夜中急におかしくなり、二日二晩猛烈な下痢に苦しんだ。最高級ホテルのダイニングルームで、ぴくぴく息づいているような牡蠣である。しかし、牡蠣はたとえ生きていても時々、大腸菌やその他いろいろ毒素を持ったものがあるらしい。上からも下からももう出るものが一切無くなっているのに、気持が悪く、腹が捩れるほど痛い。それを今でも思い出す。それなのに、一向に懲りずに今でも相変わらず生牡蠣を食べている。
 この句は「食えない男」と「食う女」の組み合わせ。話としてはこの方が食中毒よりずんと面白いし、句になるようだ。  (水 21.12.09.)

牡蠣の身のなまめく光すすりけり 流合研士郎

牡蠣の身のなまめく光すすりけり 流合研士郎

『合評会から』(日経俳句会)

豆乳 自分は乳白の裸体、と詠んだ。が、この句のほうがセンス良くおしゃれだ。
水牛 牡蠣のなまめかしさの、すれすれを詠んで成功している。
守  新鮮でつややかな牡蠣をなまめく光、としたのが良い。
三代 生牡蠣のつるんとした感じをなまめく光とは。うまい。
          *       *       *
 生牡蠣はなんとも言えずエロチックである。これをためらいなく、「なまめく光すすりけり」と言い切ったところに感嘆した。この感覚と措辞は素晴らしい。
 牡蠣はなんとも形容し難い姿をしている。ちょっとくらい叩いただけではびくともしない厚い鎧のような貝殻に覆われている。慣れないと蓋をこじ開けるのも大変だ。しかし、熟練の牡蠣剥きのおばさんが無造作に金具を挿し込むと、分厚い殻がぱっと割れて姿を現す。
 外套膜というのか、黒い縁取りの唇弁と、それに続いてぷっくりふくらんだ身が横たわっている。その色は、決められた言葉で言うなら「乳白色」というのだろうが、どうも正確に言い当てる言葉が無いような感じである。ぱかっと開けられたばかりの、ふくよかな身が息づいている牡蠣を見ると、私はゴヤの「マハ夫人」を思い浮かべる。
 推測するに、作者も恐らく似たような思いにかられて身をすすりこんでいるのではないか。なんとも夢幻の世界に遊ぶが如き一句である。
(水 21.12.08.)

手に馴染み太りし手帳年惜しむ  塩田 命水

手に馴染み太りし手帳年惜しむ  塩田 命水

『この一句』

 一読して「太りし手帳」の表現の卓抜さにうなってしまった。師走に入り手帳を手にする。一年近く使い続けたので角が丸まり、手に馴染む。書き込んだ文字だけでなく、所々にメモや資料が挟み込んである。分厚くなった手帳はこの一年の歴史であり、眺めていると様々な出来事や思い出が浮かんでくるに違いない。年惜しむの季語を具現化したような句だ。
 作者の解説によれば、毎年決まった手帳を使っており、ぴったり納まるサイズの箱に仕舞っているという。年初にはきちんと入った手帳が、新聞の切り抜きも含めいろんな資料を貼り付けるので、年末には膨らんで納まらなくなる。太った手帳を毎年実感している作者だから生まれた句であり、そんな手帳を愛おしむ気持ちも感じられる。
 手帳は書店・文具店で市販しているもののほか、企業が社員や取引先に配るもの、税務手帳など専門家向け、都道府県が出す県民手帳など様々ある。最近はスマホの電子手帳機能を使って、紙の手帳は持たない人が増えていると聞く。それでも手帳派にとって、予定や行動を書き込むことは自分の歴史を記す第一歩とも感じられ、手放せない。
 掲句は番町喜楽会の12月例会で今年最高の10点を得た。年初から年末まで新型コロナに翻弄された令和三年。振り返ればそれぞれに去来するものがあろう。一年を締めくくるにふさわしい、まさに掉尾の一句といえる。
(迷 21.12.07.)

ふるさとの空き家を泣かす虎落笛 工藤 静舟

ふるさとの空き家を泣かす虎落笛 工藤 静舟

『季のことば』

 虎落笛と書いて今時の若者に見せて、「もがりぶえ」とちゃんと読めるのが百人中何人いるだろう。かなり年のいった人でも、その意味するところを正しく答えられる人はそれほど多くないだろう。しかし、歳時記の冬の部には「強い冬の風が柵や竹垣などに吹きつけ発する笛のような音」とちゃんと載っている。
 「こんな古臭い言葉をもてあそんでいるから、俳句なんて時代遅れの老人の遊び事と言われるんだ」と笑われるかもしれない。しかし近頃、俳句は若年層の愛好家が着実に増えている。そんなこともあって、あえて句会の兼題として出した。「嫌がらせの年齢」が意地悪で出した兼題ではない。
 この句は虎落笛の持つ雰囲気を素直に詠んでいる。家屋は生き物で、人が住まなくなると急速に傷み始める。住んでいれば羽目板の割れ目、瓦のズレなど、小さなほころびに気がついて修復するからいつまでもしっかりしているのだが、無人の住居はそうした傷に気づかず、そこから雨水が浸み込んだり、強風が割れ目を広げたりする。そして見る見るうちに廃屋と化す。
 故郷を離れて都会住まいが長くなり、故郷に残した両親も亡くなって、無住の家だけが残っているという、この句のような情景は珍しくなくなった。名義上の持主である都会住民は、祖父母や両親と共に住んだ家だから愛着がある。何とかしようとは思っているのだが、思うに任せない。破れた羽目板を吹き鳴らす虎落笛のボリュームは年追うごとに高まっていく。
(水 21.12.06.)

パラダイスと言ひし町あり虎落笛 大澤 水牛

パラダイスと言ひし町あり虎落笛 大澤 水牛

『この一句』

 詠まれているのは洲崎パラダイス、洲崎遊廓のことである。根津にあった遊廓が、東京帝国大学の新校舎建築にあたり、風紀上よろしくないとの理由で1888年(明治21年)に洲崎(現東陽町)に移転され、1958年(昭和33年)に売春防止法により廃されるまで続いたものである。東京には遊廓や三業地は他にもあっただろうに、なぜ洲崎だけが「パラダイス」と呼ばれたのかはよくわからない。
 1951年生まれの筆者が洲崎パラダイスを知る由もない。それを知ったのは、川島雄三監督の「洲崎パラダイス・赤信号」からである。1956年に封切られたこの映画をあらためてネット配信で見てみた。ほとんどがロケによる撮影のため、洲崎はもとより秋葉原電気街などの街並み、居酒屋や蕎麦屋、都電やバスの様子、運河の貸ボート屋など、当時のありのままのシーンがとても興味深く、年月による変化の大きさを感じさせる。川辺でチャンバラごっこをする少年などには、つい自分自身の少年時代を思い出してしまう。
 一句は、そんなかつての「パラダイス」に、烈風が柵や竹垣などに吹き付けて立てる音をあらわす「虎落笛」を掛け合わせている。作者にとって、その時代、あるいはこの町がどんなものであったのか詳らかにしないが、冬の季語「虎落笛」と「言ひし町あり」の措辞が、少しセンチメンタルなものを含む、往時をしのぶ心情を伝えている。
(可 21.12.05.)

急峻の真田本城虎落笛      堤 てる夫

急峻の真田本城虎落笛      堤 てる夫

『季のことば』

 真田本城というから、上田市内の上田城を思った句友もいた。筆者もそう思ってしまった。上田城には急峻というイメージが薄いせいで、この句を採りあぐねてしまった。合評の場になって、採った句友は真田の本城(地元では「ほんじろ」と呼ぶらしい)と正しく理解していた。幸村の父昌幸が上田城を築くまで真田三代の本拠だったという。うかつにも十年程前に大勢で吟行に行ったことを忘れてしまっていたのだ。
 真田氏の発祥の地・真田の郷から背後の山を登ると馬の背の道になる。その峰々の平らな一角に主郭跡がある。たしかに山城だけに「急峻」といっていい。そこから向かいを見渡すと3キロ先の峰には難攻不落の支城砥石城跡が見え、真田一族のみごとな戦術眼をしのんだことを思い出した。
 「虎落笛」という季語、現代ではなじみが薄い。自然に乏しい都会や木柵や竹垣などが珍しい今では、虎落笛を聞いたこともない向きが大方だろう。作者によると、虎落笛には戦のイメージが付きまとうような思い込みがあるという。地元・上田在住ゆえにか、季語と真田の山城を結びつけるこの句が生まれた。真田一族の波瀾万丈の歴史に痛快さを覚えるファンは多い。「真田本城」の文字を見ただけでこの句を採らざるを得ないという句友もいた。法螺貝の遠音がボーボーと聞こえるような「虎落笛」の句だ。
(葉 21.12.03.)

冬日和武蔵野うどんよく噛んで  杉山 三薬

冬日和武蔵野うどんよく噛んで  杉山 三薬

『この一句』

 昔は「武蔵野うどん」などという名前は無くて、東京、三多摩、埼玉、神奈川あたりでは一様に「手打うどん」と言っていた。昭和の末頃からいわゆるグルメブームというものが広がり、地方の隠れた「美味いもの」再発見の動きが盛んになった。武蔵野うどんという名前は恐らくその頃生まれたのではないか。
 多摩川、荒川、利根川に囲まれた真ん中のこんもりとした武蔵野台地は関東ローム層という赤土の上に、長年月かかって腐葉土などからなる肥沃な黒土が分厚く覆いかぶさっている。作物の生育には好適な土地だが、所々に細い川はあるものの、全体としては水不足で水田がほとんど無い。どうしても大麦、小麦、稗、粟、蕎麦などに頼らざるを得ない。中でも粉に引くと団子や饂飩をはじめ主食になるものが作れる小麦が盛んに栽培されるようになった。というわけで、武蔵野一帯に「うどん」が発達した。
 蕎麦は素人ではなかなか上手く打てない。饂飩なら誰にでも出来るから、どこの家も饂飩を打った。それが「手打うどん」であり、やがては「武蔵野うどん」となって商品化され大規模生産されるまでに発展した。
 とにかく武蔵野うどんは腰が強い。これは手打時代からの伝統で、小麦粉を十分にこねて丸めたものをゴザにくるみ、足で踏む。延びたらそれをまとめてまた踏むという工程を経ることによって弾力を生む。こうして煮崩れしない饂飩ができる。噛むほどに旨味が湧いてくるのも武蔵野うどんの特徴である。
 冬日射のお昼、歯ごたえ確かな武蔵野饂飩をしっかり噛み味わう、ほのぼのとした感じの伝わる句である。
(水 21.12.02.)

宇宙屑海に落ちしは牡蠣の殻   中嶋 阿猿

宇宙屑海に落ちしは牡蠣の殻   中嶋 阿猿

『この一句』

 日経俳句会11月例会「牡蠣」の兼題句である。海の中の牡蠣を詠むのに宇宙を持ってきたスケールの大きさと、童話めいた内容に魅かれた。岩場や牡蠣棚で育つ牡蠣はゴツゴツした殻にフジツボや海藻が取り付き、魁偉な岩のようになる。作者はそれを宇宙から落ちてきた屑だと言う。
 宇宙屑とは何を指しているのだろうか。宇宙空間には新星爆発で生じた塵や、彗星が放出する塵など大小様々な粒子が漂っているとされる。地球に飛来すれば大気圏で燃えて流れ星となり、燃え尽きずに落ちれば隕石となる。微細な塵もたくさん降り注いでいるという。
 地球の表面積の7割が海なので、海底に星屑が広く存在していることは十分考えられる。ゴツゴツした隕石が牡蠣殻となり、その内部で乳白色の牡蠣を育てる。ロマンに満ちた想像だ。
 牡蠣はほぼ全てが養殖されている。ホタテの貝殻を刺し連ねた「原盤」を海に沈めて牡蠣の幼生を付着させ、海域を変えながら育てる。ある程度大きくなったら原盤を一個づつロープに挟んで海中に吊り下げて太らせる。養殖技術の発達で大ぶりの牡蠣を安く味わえるようになった。
 寒さがつのると牡蠣も甘味を増し、生でも焼いても鍋でもおいしい季節となる。牡蠣筏よりも、海に落ちた星屑を想像しながら食べた方が、味わいが増しそうだ。
(迷 21.12.01.)

熊眠るルシャの番屋の板目貼   中沢 豆乳

熊眠るルシャの番屋の板目貼   中沢 豆乳

『合評会から』(日経俳句会)

三薬 最初、クマが番屋で寝ている?うん?いやいや違う。そうだ!上五で切る。すると、景が見えてくる。ルシャは知床半島の海岸。その番屋の目貼を詠んでいる。
てる夫 知床半島のルシャ湾。昔、行ったのですが、その時は気づかなかったなあ。ルシャを調べて状況がわかると、いい雰囲気が伝わってきました。
明古 ルシャとはアイヌ語で「浜へ下りてゆく道」。知床半島のルシャ湾の番屋は、板を打ち付けて防風している。力のある句で、真っ先に戴きました。
朗 シベリア抑留をイメージした。
誰か クマ、ルシャ、番屋、板目貼、と。材料が多すぎなんだよナー。
而云 知床のルシャの番屋の板目貼、じゃあ駄目なの?
一同 うん。それが良い。すっきりしている。「の」を重ねて、リズムも良い。
          *       *       *
 私は常々固有名詞を句に使う時は、十人中半数以上が知っているものでないとうまくないと思っているので、「ルシャ」に引っかかって受け入れ難かった。しかし、作者の「ルシャ湾の鮭漁師大瀬初三郎さんはヒグマと共存している。ヒグマが人間の言うことを聞くというので有名になった。ここは冬になると氷が飛んでくるので、板で囲いを作る。冬眠する熊と板囲いが詠みたくて・・」という述懐を聞いて、己の浅はかさを知った。三薬さんの言うように、「熊眠る」で切れて「ルシャの番屋の板目貼」と続く、堂々たる一句である。
(水 21.11.30.)

道の辺に古りし馬塚翁の忌    嵐田 双歩

道の辺に古りし馬塚翁の忌    嵐田 双歩

『季のことば』

 11月の兼題のひとつが「芭蕉忌」。10月に久しぶりの吟行で江戸情緒残る深川に翁の旧跡を訪ね句会をしたばかり。それだけにどんな新発想の句が登場するか、難しさのあるなか興味津々だった。とうぜん先の吟行の第二弾という句も出たし、翁自身にちなんだ句、大きく発想を膨らませた句など多彩であった。「時雨忌」「桃青忌」「翁忌」とも言い、自在に変えて詠める大きな季語だから、句友それぞれが情景と雰囲気に合わせて詠んでいた。好みを言えば「芭蕉忌」「桃青忌」はちょっと堅苦しい気がする。いっぽう「時雨忌」というのが即物的ではなく風趣があって好ましく感じる。
 上に掲げた句は芭蕉句を踏まえた一句だ。「みちのべのむくげは馬に喰われけり」が本歌だとおのずと知れる。千葉ニュータウンに住む作者によると、近くに馬塚があるそうな。江戸幕府の牧があった地域で軍馬の放牧を行っていた歴史がある。電車賃がバカ高い北総鉄道に「印西牧の原」という駅があるが、駅名はその名残だろう。ネットで調べると、その昔平氏打倒へ挙兵し自刃した源頼政の首を馬が当地に運んできたという。その名馬を祀る石碑が残っている。作者は散策中にでもその名馬塚を見たのだろうか。手練れの作者ゆえ芭蕉句がすぐさま口をついて出た。「むくげ」ならぬ「馬塚」と季語翁忌が結び付いたとみた。本歌取りの句は付き過ぎては鼻に付くが、「馬に喰われたむくげ」と「古びた馬塚」はちょうどよい距離感を保っていると思うのだが。
(葉 21.11.29.)