初春の移住あいさつ二人半    岡田 鷹洋

初春の移住あいさつ二人半    岡田 鷹洋

『合評会から』(日経俳句会)

三薬 うまいとこ見てるなと思った。一人は身ごもっていて、そうすると二人半。二人半がとにかく上手い表現。
青水 ボクの住んでいるところも古い住人が出て行って、代わりに分割した敷地に若い夫婦が引っ越してきます。お腹の大きい奥さんも目立ちます。時事句として秀逸。
迷哲 移住してくる人がちっちゃな子どもを連れていたとも読める。どっちにしても人が増える予想と新春の漢字がうまく合って、めでたい感じなので、頂きました。
方円 若夫婦がチビを連れて、あいさつに来たのでしょう。新生活への緊張と夢を持って、そのはつらつさが伝わります。
芳之 なるほど、こういう言い方があるのかと勉強になりました。
          *       *       *
 いまどきそういう表記があるのかどうか分からないが、昔は「中人」という表記をする銭湯や芝居小屋があった。また、飯屋の品書に小丼で出すのを「半人前」と書いてあったりした。といったことからすると、この句は若夫婦が幼い子を連れての隣近所への挨拶回りということになる。それに対して、この句は「ご亭主がお腹の大きくなった愛妻を帯同しての引越し挨拶だ」と解釈した人もいる。
 どちらともとれる。ただ、幼児を連れての挨拶回りだとごくフツーの情景となる。やはり、この「半」はまだ若奥さんの腹中にあると見た方が、微笑ましく、希望の膨らむ初春風景にふさわしいように思う。
(水 25.02.09.)

東京駅二十三番線の春      星川 水兎

東京駅二十三番線の春      星川 水兎

『この一句』

 一読していろんな感想や疑問が持ち上がった。「これが俳句だろうか?」「俳句だとすれば、今まで読んだことのない新鮮さがある」「ところで二十三番線って何だろう?」「松本清張の『点と線』と何か関係ある?」調べてみるとあれは十三番線ホームの話だった。
 二十三番線は東北、北陸、上越新幹線などの発着ホーム。なるほど北国から来た乗客の装いにもやっと春が感じられるようになったという、北国の春を詠んだ句かと一人合点した。
 句会に欠席された作者に問い合わせると、東京駅のホームが二十三番まであること知り、世界一多いのじゃないかと思ったのがきっかけとのこと。「春」は旅行シーズンに加え、入学や転勤など移動の多い時期でもあり、「春」と駅のホームの取合わせは良さそうだと思い詠んだとのこと。俳句版「北国の春」ではなかったが、当たらずとも遠からずである。この句に一票を投じる方はそんなに多くはないだろうと思っていたら、なんと四票も集めて高得点句になった。同好の士がけっこういたわけである。
 ちなみに、東京駅には二十三番線まであるが、十一番から十三番は今は欠番になっていて、『点と線』の舞台は消えてしまったようだ。「昭和も遠くなりにけり」である。
 もう一つ、その後の調べでは、世界一のホーム数はフランクフルト駅だったらしい。作者の「残念!」の声が聞こえる。
(可 25.02.07.)

百八十卒寿夫婦の年の豆     向井 愉里

百八十卒寿夫婦の年の豆     向井 愉里

『季のことば』

 節分を迎えた年寄り夫婦を軽妙に詠み、ほのぼのとした気分になる句である。最初に「百八十」と詠み出して何だろうと思わせ、卒寿夫婦を登場させたうえで、下五の「年の豆」まで来て、九十歳と九十歳で、合わせては百八十粒かと謎が解ける。とんち話のような可笑しみがあり、百八十粒の豆を数えている長寿夫婦を想像すると、思わず目出度いですねと声をかけたくなる。
 年の豆とは節分に撒く豆のこと。角川俳句大歳時記によれば、もともと宮中行事として大晦日に行われていた追儺(ついな)が、各地の社寺に広がり、民間の節分行事だった豆撒と習合して一般化したという。今年の節分は二月二日だったが、年男が「福は内、鬼は外」と唱えながら豆を撒き、縁起物として人々が取り合う光景がテレビニュースをにぎわせていた。
 掲句は、卒寿夫婦の謎かけを面白がる人が多く、2月の番町喜楽会で一席となった。句会では「百八十もの豆、どうやって数えたのだろう」とか、「食べきれないよね」といった疑問も出て、「一粒を十年と数えれば九粒ですみます」との〝謎解き〟まで飛び出した。
 高齢の会員が多数を占める句会だけに、卒寿を迎えた方の作品かと思ったら、何と句会では若い方に属する作者と分かった。作者の解説によれば、数えで九十歳になる同い年の両親を詠んだとのこと。「来年、同じことを詠めるかなぁ」というコメントを聞き、笑いを取りながらも、両親の長寿を願う作者の優しい心情に触れ、ほろりとなった。
(迷 25.02.05.)

通学路手袋拾い春隣       旙山 芳之

通学路手袋拾い春隣       旙山 芳之

『この一句』

 冬がそろそろ終わり、春の気配が感じられる時候を、身近な出来事によって鮮やかにとらえた一句である。情景がすぐに浮かび、春隣の兼題句で真っ先に点を入れた。
 小学生の下校時と思われる。朝は寒かったので手袋をして登校したが、帰る頃は寒さも緩み陽も出て来た。手袋は面倒くさいやと、ポケットに突っ込んでいたら、友達とわいわい騒いで歩いているうちに道に落としたのであろう。
 春隣(はるどなり)は「春近し」の傍題として掲げている歳時記が多いが、水牛歳時記によれば「どちらも春がすぐそこまで来てるという期待をこめたところは同じだが、『となり』という身近な言葉でより親しみやすく感情移入しやすい」と述べている。掲句はその親しみやすい季語に、手袋の落とし物という可愛いエピソードを重ねることで、春が近いと納得させる。登場人物が子供ゆえに春を待ち望む思いが膨らむ。
 句会では「着想が新鮮 守」、「落とし物で春隣とは面白い 木葉」など、季語とエピソードの取合せの妙に点を入れた人が多かった。水牛さんはこの句を採りつつも、「拾い」ではなく「拾う」の方が良かったと指摘した。確かに「手袋拾い」では、春隣との因果関係を述べた感じがある。「拾う」とすれば、まさに情景そのものが春隣だと、より心に響いてくるのではなかろうか。
(迷 25.02.03.)

縦列のサギ動かざる寒の川    杉山 三薬

縦列のサギ動かざる寒の川    杉山 三薬

『合評会から』(日経俳句会)

反平 以前住んでいた家が大きな用水路に近く、これと同じような風景をしばしば見かけた。岸辺に寄り添ってじっとしている。動かない姿がまさに冬景色なのだ。
操 身じろぎもしない鷺の姿。瞑想する僧侶の姿に重なる。
鷹洋 これでもかという寒さを凍てつくサギに仮託したうまい俳句です。縦列の措辞が利いている。
          *       *       *
 作者は自宅近くを流れる多摩川上流の川辺をほぼ毎日、自転車で走っているという。鷺が何十羽と足を半分くらい水につけて、ほぼ真っ直ぐに縦隊を組んでいる。これが冬の情景。
 「あんなに動かないのに、よく魚が獲れるものですね」「鷺が動かないから、魚が動く。その瞬間に首を下げて、魚が獲れるのでしょう」といった会話が合評会で交わされた。鷺の生態論議でしばし賑やかになった。
 こうした風景は昭和四十年代までは東京二十三区の川や沼にごく普通に見られたものだが、今ではその昔「都下」と言われた所まで行かなければ見られない。それも年を追うごとに消えてゆく。
(水 25.02.01.)

両の目のレンズ張替え春隣   杉山 三薬

両の目のレンズ張替え春隣   杉山 三薬

『この一句』

 いきなり俳句仲間うちの話になってしまう。筆者はこの句の作者と入社同期で配属先も同じ。酔吟会でいまも顔を合わせる間柄だ。句会のあとは反省会と称する飲み会となるのだが、作者は紛れもない下戸、筆者もいま病気療養中とあってともに参加を控えている。酒の飲めない二人は仲良く語り合いながら帰途につく。途中の話題はさまざまだが、後期高齢者同士であるから健康状態がおもになる。
 この句が高点を取った今月の日経俳句会。選句表を見たときには作者が誰と思い至らず、「選」から漏れた。作者名を知った途端、いつの日かの句会帰りを思い出した。そういえば、白内障の手術をして劇的に視力が戻ったと言っていた。白内障は老人大多数の悩みだ。そういう筆者も定期的に眼科医にかかっているが、手術が必要という段階ではない。だからこの句が我が身に迫るものと思わず採りそこねた。選句者の心情には、「共感」という要素が選句を左右するのだとあらためて思い知ったことである。
 当今、白内障手術をしたという人が周りに多い。目の前が明るく開けたと効果を絶賛する。濁った水晶体をレーザーや超音波で砕いて取り出し、人工のレンズを眼に入れるという方式だそうだ。同時に老眼も改善できるとある。作者は自らの経験を引いて「春隣」の季語にふさわしい句を作った。「張替え」のぶっきら棒な表現も的確と思う。作者によれば、女医だったというからますます春めいてきただろう。
(葉 25.01.31.)

初手水昭和百年幕が開く     中野 枕流

初手水昭和百年幕が開く     中野 枕流

『合評会から』(日経俳句会)

三薬 気がつかなかったけど昭和百年なんだよね。ぼくらの頃は明治百年なんてよく言ってました。気付かなかったことを気付かせてくれたということで。こういう記憶が好きなんで、もう自動的に採りました。
青水 気の利いた時事句ですね。中七の捌きも季語の斡旋も見事です。取り立てて感慨を覚えませんが、巧みな作者に一票。
朗 昭和は遠くなりにけりです。生きていれば父は九十二歳、母は九十一歳。自分もぼおっとしているうちに、はや六十九歳になりました。
木葉 昭和百年の年を詠む句。ただ、大きなテーマを詠むのに「初手水」は景が小さすぎる。初詣や初参と大きく構えては。
定利 上五が良いですね。昭和生まれは頑張らねば。
双歩 青水さんは取り立てて感慨を覚えないと言いましたが、幕が開くという言い回しが良いと思いました。
          *       *       *
 大正15年12月25日に大正天皇が崩御、即日、昭和元年になったので、正確に言うと「昭和百年」は今年十二月二十五日。その上、今年は戦後八十年、三島由紀夫生誕百年等々いろいろある。年末にかけて様々な行事が繰り広げられそうだ。初詣でそれに気がつき句に仕立てたのが何と言ってもお手柄。ただ、上五は木葉さんの言う通り、「初詣」と素直にやった方が良かったと私も思った。
(水 25.01.29.)

焼跡に雑炊すする我八歳     大澤 水牛

焼跡に雑炊すする我八歳     大澤 水牛

『この一句』

 雑炊は何でもグルメのこの頃、昔の雑炊ではない。河豚ちり、すっぽん鍋、鮟鱇鍋などの高級料理の〆として供される。そもそも雑炊は、貧しさが当たり前の室町時代までは「増水(ぞうすい)」と呼ばれたそうだ。貴重な米の嵩を増すためで野草なども混じっていたに違いない。消費生活が多少豊かになった江戸期になって、卵などの具を加えることから「雑に炊く」雑炊となったという。関西では「おじや」と言って、雑炊とは言わないとも。汁が多いのが雑炊で汁少ないのがおじやとの分け方もある。いずれにしろ、現代では食欲がそそわれる冬の季語である。
 作者は80代後半の戦後闇市派。ときおり戦中戦後の食糧事情の酷さを語る。横浜育ちで学童のころは千葉に疎開したと言っている。当時の千葉の田舎は都会っ子いじめがあったし、米・魚・肉をはじめ食べ物不足もはなはだしく食べられるものは何でも食べたと。そんな時代にあった作者にとって、おじやは大ご馳走と思ったことだろう。白米が少しでも入っていれば上等、たとえ雑穀と芋の蔓の雑炊でもありがたかった。小学低学年で育ちざかりの身には、美味い不味いなど無縁だ。
 映画やテレビドラマでときたま描かれるこの句のシーンは、グルメ三昧の現代の若者にどう響くのだろうか。「時代が違う」と一蹴されるのかもしれないが、あえて「我八歳」と詠んだ作者80年前の現実で、戦中派置き土産の忘れがたい一句である。
(葉 25.01.27.)

初夢の行方不明となりにけり   植村 方円

初夢の行方不明となりにけり   植村 方円

『この一句』

 初夢という目出度い季語に、行方不明という不穏な言葉を取合せ、ミステリアスな雰囲気が漂う句である。「初夢はいつも忘れてしまう。行方不明が上手い 豆乳」の句評ように、初夢が捉えどころなく消え去るという誰もが経験することを、行方不明と表現した点に俳味を感じた人が多く、日経俳句会の初句会で10点を得て、一席となった。
 初夢は新年になって初めて見る夢のこと。水牛歳時記によれば、初夢を見る日取りは時代や地域によって様々な説があるが、今日では「一日夜」と「二日夜」が大勢を占めているという。俗に「一富士二鷹三茄子」の夢が縁起が良いと言われる。昔は吉夢を見ようと枕の下に宝船の絵を敷いたり、逆に悪い夢を食べてもらおうと獏の絵を置いたりしたようだ。
 昔の人ほどではなくても、新年の吉凶を占う初夢の内容は気になるもの。普通は何とか思い出そうとする。掲句がわざわざ行方不明という言葉を使ったのは、単に夢を忘れてしまったのではなく、心静かに夢を見られる気がしない、初夢を見るような世の中ではないと言いたかったのではないか。
 作者は初句会に欠席だったので、後日その真意を聞いてみた。それによると、年末年始に家族の骨折や病気による緊急手術・入院が続き、旅行をキャンセルするなどバタバタしたそうだ。「何かしらの初夢は見たと思うのですが、文字通り行方不明となった次第です」とのコメントが返ってきた。初夢を見たり思い返す心の余裕がなかったというのが、実相のようだ。
(迷 25.01.25.)

あれはだめこれも燃やすなどんど焼き 杉山三薬

あれはだめこれも燃やすなどんど焼き 杉山三薬

『合評会から』(日経俳句会)

愉里 昨年末、正月飾りを買いに行ったら、このお飾りはエコだから全部燃やせますと言われました。それを売りにしているようです。
てる夫 自治会の役員がそれは燃やせない、ビニールの類は駄目と、細かい。変なものを燃やすのを非常に嫌がります。
水牛 うちの方の神社でも鶴は外せ、海老も外せとか、いろんなことをいう。分別する箱が置いてあって、本当に面倒くさい。
静舟 焚火の難しい時代。神社に行くと分類の細かい注意書きがある。分けられた人形やマスコットはどうなるのだろう。
千虎 自然素材だけで出来た物が減って、どんど焼きも難しいのでしょうね。
光迷 最近の世相をよく捉えています。お炊き上げでも立札に注意事項がずらり。
          *       *       *
 「どんど焼き」は、新年の季語「左義長」の傍題。1月15日の小正月に正月飾りなどを持ち寄って焼き、その火で餅や団子を炙って食べ息災を祈ったり、書き初めの書を焼いて上達を願ったりする火祭りの行事だ。
 ところが、上記選者の数々の証言から分かるように、最近はほとんどの場所で左義長に焼べる物が制限されている。金属類はあたり前として、燃すと有害物質が出る物もあり、屋外で何かを焼くのは本当に気を遣う。もちろん、冬の風物詩「焚火」も今や御法度。そんな味気なくなった世相をユーモラスに掬い取って、初句会で堂々の高点句となった。
(双 25.01.23.)